藤枝~島田2015.12.29

女房の兄貴の運転で新東名高速道路を徹夜で走り、これから2泊する藤枝パークインホテルの駐車場に車を停める。
そこから歩いて10分ほどで旧東海道と国道1号線と藤枝駅に向かう通りが交差するややこしい交差点に達する。
ここが今回のスタート地点だ。

今回のスタート地点
今回のスタート地点

10:22AM、今日の東海道歩きを始める。
しばらくは国道1号線の南側を平行して進む。
所々に松並木の名残が残っている。
旧東海道らしい景観だ。

松並木
松並木

一旦国道1号線と合流した旧東海道はすぐに東海道本線六合駅を迂回するように北に分岐してまたすぐに合流する。

その合流地点近くの「五味八珍」という浜松餃子で有名な中華レストランチェーンで昼食を取る。
その餃子、外がカリッとしていて中はモチっとしている皮の食感はとてもいいのだが、具自体に味が付いていないのが僕には物足りなかった。

歩きを再開してすぐ、歩道橋をくぐる時にほんの小さな水路を渡ったが、その水路に「監物川」という名前が付いていた。
歴史的な謂れのありそうな名前なので当たりを見回すと道の反対側に説明版が建っている。
それによると、これは田中城主であった水野監物忠善が大井川の水を引き込む為に造った水路だそうだ。
これに感謝したこの地の農民がこの水路を監物川と呼ぶようになったらしい。

監物川
監物川

監物川から5分ほどで旧東海道は国道1号線から左に分かれ、さらに15分ほど歩くと道路右に島田宿一里塚跡の標柱があって島田宿に入ったことが知れる。

島田宿一里塚跡
島田宿一里塚跡

無残なまでのシャッター通りだ。

島田宿
島田宿

と思いながら歩いていると、本陣跡を取り囲む一角だけが再開発されたかのように洒落た町並みになっていた。

島田宿本陣付近
島田宿本陣付近

本陣跡から40分弱で島田宿大井川川越遺跡という一角に達する。
つまりここは旧東海道が大井川に突き当たる地点だ。
社会の発展よりも自家体制の安泰を優先する徳川幕府は西国から江戸に攻め上られるのを警戒して大井川に橋を架けなかった。
そこでここにはこの川を渡るための料金所や川越人足の詰め所などの施設が建ち並ぶことになる。
現在ここには往時の建物が現存していたり復元されたりしている。

島田宿大井川川越遺跡
島田宿大井川川越遺跡

これらが店を開いていて観光客が行き交っていれば往時の賑わった雰囲気が味わえたのかも知れないが、あいにくどこも既に年末年始の休業に入ってしまっていて戸は固く閉ざされている。
従って観光客の姿もなく、12月の西日に伸びる自分たちの影ばかりが目立つうらぶれた通りになってしまっていた。

島田宿大井川川越遺跡
島田宿大井川川越遺跡

江戸時代初期に造られた島田大堤という土手を超え、現代のコンクリート堤の上に立つと広大な河川敷が広がっている。
特に船着場などの遺構を示す物もここからは見当たらないのでこのまま堤の上を北に向かい、大井川公園前というバス停を本日のゴール地点として藤枝のホテルに向かった。

大井川河川敷
大井川河川敷

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