中津川~大井2015.7.11
昨夜の11:20PMに代々木を出発した高速バスが、今朝4:50AMに中津川駅のひとつ手前の淀川バス停に到着した。
これから5年振りの中山道を歩く。
バス停近くの防災公園で昨日のうちに買っておいたパンを食べてから前回のゴール地点、四ツ目川橋まで歩く。
朝もやが薄れて青空がのぞき始めた。
人通りはほとんどない。
6:00AM、四ツ目川橋を渡りいよいよ5年振りの中山道を歩き始める。
5年前はベビーキャリーで背負っていた娘も今では小学1年生、今日は中津川宿から大井宿までの約10kmの行程を歩かせる予定。
四ツ目川橋を渡った中津川宿は往時のままの道幅に旧い家屋が点在する。
幕末関係の資料が展示されているという中津川市中山道歴史資料館は時間が早過ぎてまだ開館していないので残念ながらパス。
その1軒先の見事な卯建の上がる建物が中津川村の庄屋宅。
その向かいの駐車場が本陣跡。
建物は跡形もないが敷地の広さだけは実感できる。
突き当りを左に折れるとさらに旧家屋が建ち並ぶ一画に出る。
濃茶の木材と白漆喰のコントラストが美しい。
宿場としてはさほど期待していなかった中津川だったが、予想に反して見所豊富な宿場だった。
宿場を出ると低層の木造民家が軒を連ねる住宅地。
その民家がだんだんまばらになってこでの木坂という坂を上るとすぐに上宿一里塚。
今日最初の一里塚だ。
旧中山道が国道19号線と国道257号線に合流する直前の三角地帯に小石塚立場跡があり、現在ではデイリーヤマザキになっているので、そこで飲み物や食料を買い込みながら休憩。
トイレも借りて再出発したのが7:40AM。
早くも暑くなってきた。
そういえば今日の岐阜市の予想最高気温は30℃を超えていた。
一瞬国道と合流した旧中山道はすぐに右にそれる。
緩やかなアップダウンと蛇行を繰り返しながら正面の笠置山に向かって進んでゆく。
千旦林村の高札場跡を過ぎて10分ほどで旧中山道はさらに左の細い道に分岐して、ほとんど田んぼの中の畦道となる。
緑の田園の中を右前方に笠置山を見ながら歩く。
実にのどかなひとときだが、気温はどんどん上がっている。
娘はかなり疲れている。
8:47AM、三ツ家の一里塚跡を通過。
細かく休みながら進み、茄子川村の高札場跡を過ぎてすぐの尾州白木改番所跡の向かいの空き地で娘にさっき買ったおにぎりを食べさせる。
皇女和宮や明治天皇も休憩したという茄子川小休所篠原家の見事な建物の前を通り過ぎ、
小高い丘を二つ越えると中津川市と恵那市の境界があり、そこに中山道と書いた大きな碑が建っている。
10:00AM、やっと恵那市に入った。
この頃から娘は「(ゴールは)まだ?まだ?」と繰り返すようになった。
どこかで思い切って休まねばと思いながら歩いていると、甚平坂を上りきったところにおあつらえ向きなあずまやがあったので休憩する。
するとゆうべ深夜バスに乗る前に飲んだ酔い止めが効いてきて僕も女房もそこで居眠りをしてしまった。
10分ほどだっただろうか?
再出発して笠置山を右に見ながら歩いていると、関戸一里塚跡を通過した。
今日3つ目の一里塚だ。
一日に3つの一里塚を通過するのは本当に久しぶりな気がする。
11:07AM、ゴールは近い。
そのすぐ先の下り坂の向こうに恵那の市街地が見えてきた。
下り坂はやがて民家の間の路地となって大井宿の高札場に達する。
11:20AM、大井宿に入った。
街道は大井宿に入るとすぐに左に屈曲する。
大井宿に特徴的な大きな枡形の始まりだ。
豪壮な塀と門が残る本陣の前で右に曲がり、
旧庄屋の中山道ひし屋資料館(本当は寄りたかったが、娘の状態を見て断念)の前を通り、
旧家屋を活かしたいち川という旅館の角でまた右に曲がる。
ここにも旧庄屋の家屋が残っていて、その前を通り市神神社の突き当りを左に折れる。
さらに阿木川と平行する格好で左折して、大井橋で右に曲がる。
城下町並みに道が屈曲しているのは、幕府がここに城を築くつもりだったためらしい。
旧い日本家屋がきれいに黒塗りされて良く残っている宿場だった。
大井橋を渡ると変哲のない駅前通という感じ。
11:44AM、旧中山道が恵那駅から延びる道と交差するところで今日の中山道の旅を終了した。
その後駅前の喫茶店で昼を食べて、明智鉄道で岩村に向かう。
勿論岩村城を見るためだが、岩村で降りてちょっと歩いただけで娘はグロッキー状態だったので断念して翌日にまわすことにした。
それでもここまで良く頑張ったと思う。