武佐~守山2024.2.10
埼玉から夜通し走らせた車をJR守山駅前のコインパーキングに停める。
そこから電車を乗り継いで近江鉄道の武佐駅に降り立つ。
前回のゴール地点の踏切の手前で準備運動をして歩き始めたのが10:52AM。
今日はここから守山までの14km弱を歩く予定。
旧い建物や門が点在する細い道を15分ほど歩くと国道8号線に合流する。
大きな工場や自動車ディーラーが建ち並ぶ幹線道路を10分ほど歩いたところで旧道は左にそれる。
すると左手の路傍に「安楽坊 住蓮坊 御墓」と辛うじて読める傾いた石碑が現れ、その斜め向かいには「住蓮房首洗い池」という恐ろし気な名前の池がある。
住蓮坊とは鎌倉時代前期の僧。
後鳥羽上皇に使える女官2名を自分らの宗派に帰依させたことで上皇の怒りを買い、この地で斬首されその首を洗ったのがこの池だということだ。
そんなおぞましい伝説の残るこの池(水は枯れている)周辺は現在児童公園となっており、ブランコや滑り台が置かれている。
最近映画『翔んで埼玉 ~琵琶湖より愛をこめて~』ですっかり全国的に有名になった‟とびだしとび太”もいた。
そこから5分ほどで右手には田園風景が広がり、その向こうに比良山地の屏風のような山並みが薄っすらと見えている。
一旦国道と再合流した中山道は、今度は国道を右にそれる。
すると左手の国道沿いに餃子の王将が見えたので、そこで昼食を食べた。
腹いっぱい食べて再出発したのが12:24PM。
静かな住宅街の細い道を歩いて行くとやがて日野川の土手に突き当たる。
土手に上がるとこの地にかつての渡し場の跡があるという説明板があったので土手の向う側をのぞいてみると、そこだけ平らな一角があるにはあるが、それが渡しの跡なのかどうかは判然としない。
回りは樹木が鬱蒼と生い茂っているのでそれ以上川にはとても近づけない。
やむなく土手の上を下流方向に約300m歩いて横関橋を渡る。
対岸の土手上を上流方向に歩きながら渡し場の跡を探してみたが、はっきりとしたものは見つけられなかった。
日野川を渡ると滋賀県蒲生郡竜王町だ。
道幅と道筋のくねり具合に旧道風情が感じられる。
何度か国道と合流しては離れてを繰り返しながら鏡という地区に入る。
ここはかつては間の宿であった。
そしてもっと古くは源義経が元服をしたという伝説の残る地だ。
その際に義経が宿泊した宿跡や、烏帽子をかけた松を有する鏡神社や、儀式に使用する水を汲んだ義経元服の池などがある。
元服池の向かいにある「道の駅かがみの里竜王」でトイレを借りて再出発した。
1:51PM。
すぐに野洲市に入る。
2:9PM、街道左手に「←平宗盛公胴塚」という案内板が現れる。
その案内に従って街道を左にそれて進むと森を背後にちっぽけな墓標が建っている。
これが平宗盛とその子清宗の胴塚だ。
壇ノ浦で生け捕りにされた宗盛・清宗父子は鎌倉まで連れて行かれて頼朝と面会した後、京に向かって引き返す。
そして京を目前にしたこの地で斬首され、胴はここに埋められ、首は京でさらされた。
下関→鎌倉→滋賀。
殺される人間を引き回すには長過ぎる道のりである。
そして彼らが処刑されたこの地の寂しさだ。
宿場からも、街道からさえも外れた森の中の池のほとりである。
現地説明板には
平家が滅亡した地は、壇ノ浦ではなく、ここ野洲である。
野洲市観光物産協会
とある。
確かに、壇ノ浦で華々しく散るのではなく、この寂しく殺風景な池のほとりで終焉を迎えた方が栄華との落差が際立って平家にはふさわしいのかも知れない。
かつては彼らの首を洗った「首洗い池」が目の前まで迫っていたが、今では半分ほどがコンクリートで埋め立てられ、産業廃棄物リサイクル業者の敷地になっているのが殺風景さを一層際立たせている。
大篠原で、旧道は国道8号線から右に分岐する。
車の通行には少々不便だが、歩くには快適なヒューマンスケールの道幅に、旧い建物が点在する通りをしばらく歩く。
2:56PM、家棟川を渡る。
今では何の変哲もないこの川はかつては川底が付近の住宅の棟の高さよりも高い「天井川」だった。
近年の改修工事で現在のような姿になったことが現地の説明板に書いてあった。
天井川という物を見てみたかった気もするが、明日行く草津にも天井川があるらしいので、そちらを楽しみにしておこう。
3:11PM、桜生史跡公園の前を通る。
国の史跡に指定された8基の古墳からなる大岩山古墳群の内の3基が史跡公園として整備されている。
その古墳を見て回る時間も体力もなかったので素通りしながら、最も街道に近い甲山古墳を見上げて円墳のこぶを確認することができた。
街道は東海道新幹線に接近しながら進む。
突き当りにガードが見えてきた頃、右手に茅葺屋根の酒屋があった。
こういった見事な古民家の商店にはいつまでも現役でいて欲しいものだ。
3:48PM、朝鮮人街道との追分に到着。
朝鮮人街道とは、江戸初期に国交回復した朝鮮からの使節が定期的に使っていた道のことだ。
歯科医の駐車場前で右から合流して来る道を、江戸期にあってはかなりエキゾチックな使節団が通っていたわけだ。
4:13PM、夕暮れせまる野洲川を野洲川橋で渡る。
野洲川を渡るとすぐに守山市に入り、4:38PMに桝形の痕跡らしい道筋の屈曲があって守山宿に入る。
守山宿は近江の他の宿場と同様に街道時代のままと思われる道幅の両側に旧い建物が点在する。
左手の黒壁の古民家は、2001年刊のガイドブックでは宇野酒造として紹介されているが、現在では町家 うの家(守山市歴史文化まちづくり館)という形で活用されているようだ。
ちなみにここは元内閣総理大臣 宇野宗佑氏の実家である。
このうの家の先に守山駅に向かう道がT字路として交差しているので、ここを今日のゴール地点として守山駅前の駐車場に向かい、「守山天然温泉ほたるの湯」で夕食とお風呂を済ませ、「道の駅アグリの郷栗東」へ。
ここで車中泊をする予定だったが、トイレ事情が余りよろしくなかったので予定変更し、昼にトイレを借りた「道の駅かがみの里竜王」で車中泊した。
明日は守山から草津まで歩く予定。