(国府津駅)~小田原~(入生田駅)2011.11.26

1月9日以来、10ヶ月ぶりの東海道歩き。
10:00AM、国府津駅に降り立ったのは僕と女房と女房の兄貴の3人。
娘はとうとうベビーキャリーがきつくなって乗りたがらなくなってしまったので、今回からは女房の実家に預かってもらうことにした。

こんな風に親が子供にしてやれることは減ってゆくのだろうという寂しさと引き換えに身軽になったわけだ。
曇りがちの国府津駅前の国道1号線を足取りも軽く小田原方面に歩き始める。

国府津駅前
国府津駅前

歩き始めて1時間もしないうちに通りがかったデニーズでかなり早めの昼食を済ませ、酒匂川の渡し跡を見、酒匂橋を渡り、新田義貞の首塚を見る。
この辺りは部分的に国道から旧道が分岐するものの、まだ街道風情というほどのものはない。

酒匂川の渡し跡
酒匂川の渡し跡

新田義貞の首塚を見た後、東海道を北に500mほどそれて徳川家康の陣跡へ。
天正18年(1590)、秀吉の小田原北条攻めに参陣した家康はこの地に陣を構えて小田原開城までのおよそ110日間をここに滞留した。
農地の中の祠の隣に天保7年(1836)、時の小田原城主大久保忠真が建立した記念碑が立っている。
江戸時代も終わりの頃になって家康を顕彰する碑を建てた小田原藩だが、幕末の戊辰戦争ではすったもんだの挙句新政府軍として旧幕府軍と戦っている。

徳川家康の陣跡
徳川家康の陣跡

山王川にかかる山王橋を渡るとすぐに山王神社がある。
ここは北条氏時代における小田原城の篠曲輪跡で、天正18年の小田原城攻防戦では最も激しい戦闘のあった場所だ。
つまりここから北条氏時代の小田原城内ということになる。

篠曲輪跡
篠曲輪跡

神社の少し先の路地を右に入る。
この路地は川をふさいだ暗渠の上をなぞっている。
僕らはこれを小田原城の堀の跡だとにらんでたどって行くと案の定、その先に蓮上院土塁の跡があった。
北条氏小田原城の数少ない遺構である。

蓮上院土塁の跡
蓮上院土塁の跡

東海道に戻るとすぐに江戸口見附跡がある。
これは江戸時代における小田原宿の入口だ。
かつては東海道屈指の宿場町として栄えた小田原宿だが、現在では1kmほど離れた駅前の方に賑わいを奪われ、蒲鉾の老舗が点在するだけの殺風景な通りとなっている。
そんな中にあって旧家を再利用した小田原宿なりわい交流館は誰でも気軽に休憩できる施設だ。
歩く旅人にはありがたい。
おばちゃんも親切。

小田原宿
小田原宿

交流館を出て、お城と見まがう外郎屋を過ぎると右手遠方に小田原城の天守が見えてきた。
その先、JR東海道線のガードをくぐる手前を左にそれるとそこにも北條氏小田原城の早川口土塁跡がある。
大雑把にいって四角形をした北条氏小田原城外郭の右下の角がさっきの連上院土塁なら、ここは左下の角にあたる。
城下全体を堀や土塁で囲む惣構の広大さが実感できる。

早川口土塁跡
早川口土塁跡

東海道に戻ってガードをくぐるとすぐ小田原宿の京都側の出口となり、ここから旧東海道はかぎ型にカーブしながら国道1号線を右にそれる。
もちろん桝形の名残だ。
この辺りの道を“板橋の旧道”と呼ぶらしい。
そしてこの道は道幅やくねり具合が街道風情をかもし出している。
東海道を歩き始めてやっと旧道らしい旧道に出会った。

板橋の旧道
板橋の旧道

途中細川忠興の陣所跡を探しに高級住宅地の中をさ迷って結局良くわからずに40分を費やして旧道に戻る。
すぐに箱根湯本方面への車が列をなす国道1号線に合流し、1kmほどでまた右にそれる。
くねりながら軽くアップダウンする山すその旧道を気分良く歩きながら、日没前の4:30PMに今日のゴール入生田駅に到着した。
今夜は平塚のホテルに宿泊。

箱根に向かう旧東海道
箱根に向かう旧東海道

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