(入生田駅)~(奥湯本入口バス停)2011.11.27
8:30AM、平塚駅北口のビジネスホテルを出て平塚駅から東海道線で早川へ。
2007年12月にも訪れた石垣山一夜城を、東海道歩きのついでに再訪。
お城へと真っ直ぐに登るかつての大手道を行く。
前後にはウォーキング愛好会らしき団体。
40分ほどで城の入口にたどり着く。
すると道をはさんだ反対側に4年前にはなかったレストランらしき建物ができている。
「ちょうどいいじゃん、帰りにコーヒーでも飲んで行こう」
さてお城を見終わってさっきのレストランへ行ってみると大変な行列ができている。
お店の名前は「YOROIZUKA FARM一夜城」というらしい。
女房は「ヨロイズカって川島なお美のダンナじゃないかな」とのこと。
こんな山の上にこれだけの人を集めるとは大したものだ。
聞けば予約のない客は2~3時間待ちだそうだ。
それじゃ朝飯を食べたらすぐに並ばないと昼飯に間に合わない。
いずれにせよお城の遺構を見に来たついでの客などハナから相手にしてないだろう。
石垣山を来た道とは反対方向に下り、昨日の東海道歩きの終点、入生田駅へと向かう。
石垣山を下りて太閤橋を渡り、きのうのゴール地点入生田駅に着いたのが1:10PM。
ここから東海道歩きの再開だ。
きのうに引き続き道幅やくねり具合に街道風情あふれる旧道を箱根方面へと歩く。
15分ほどで旧道は国道1号線と合流する。
そこに「山崎ノ古戦場」という石碑が建っている。
慶応4年(1868)、鳥羽・伏見に勝利して東上する新政府軍を迎え撃つため箱根関所の奪取を目論んだ旧幕府遊撃隊と、すったもんだの末に新政府側につくことを決めた小田原藩との間で激しい戦闘が繰り広げられた場所だ。
この碑を過ぎると前方に箱根湯本の温泉街が見えてくる。
国道1号線は全国でも屈指の温泉地に向かう車がひきも切らない。
箱根湯本駅のちょっと手前で旧東海道は国道を左にそれて三枚橋を渡る。
山崎の合戦では遊撃隊の剣客伊庭八郎がこの橋のあたりで左手を失う重傷を負っている。
八郎はその後も函館まで戦い続け、五稜郭開城直前に戦死する。
三枚橋を渡ると箱根のお山を登る旧道となる。
15分ほどで早雲寺に着く。
5代100年に渡って小田原を拠点に関東を支配した北条氏の菩提寺だ。
もちろん北条5代の墓もある。
秀吉が小田原攻めの際、自らの陣を置いたのがなんとこの早雲寺だった。
境内に北条氏に関する説明はいくつもあったが、秀吉の“ひ”の字もなかった。
さて今日はこの早雲寺あたりをゴールに考えていたのだが、時間は2:20PM、もう少し歩いて適当なバス停で引き返そうということになった。
道はますます細く、くねりながら登ってゆく。
15分ほどで舗装路を右にそれて谷に下りてゆく石畳の道が現れる。
ついにここまで来たか!
東海道を歩き始めてから始めての非舗装道だ。
左は山、右は谷。
頭上は樹木で覆われ、足元は落ち葉と石畳。
きのう殺風景な国府津駅前を歩き始めたのが嘘のようだ。
小さな橋を渡って登りに転じ舗装道に合流するまでの10分足らず、タイムスリップを満喫した。
そこから10分ほど歩いたところに奥湯本入口というバス停があったのでそこをゴールとし、バスで箱根湯本へ行き観光客としてお土産屋を回り、駅前のルノアールでコーヒーを飲んでから家路についた。
次回は箱根の山との勝負の旅になる。