箱根~(山中城跡バス停)2012.4.21

9:30AM、ホテルむさしやのチェックアウトを済ませ、箱根神社の鳥居から東海道ウォークを再開する。
きのうの3人に加え、3歳の娘も箱根関所までの1kmは一緒に歩かせてみることにした。

箱根を歩き始める
箱根を歩き始める

すぐに杉並木が始まり、左手に葭原久保の一里塚が現れる。
きのうの畑宿一里塚からたったの4kmしか進んでいないわけだ。
しかしその4kmは文字通り山あり谷ありの濃密な4kmだった。

葭原久保の一里塚
葭原久保の一里塚

またこの杉並木は途中から車道を離れるので娘の手を離して自由に歩かせてみた。
娘は大喜びだ。
こういう素敵な道が日本中にもっともっとあってほしいものだ。

箱根杉並木
箱根杉並木

杉並木が途切れると旧東海道は鉤型に折れ曲がって箱根関所跡に差し掛かる。
右は芦ノ湖、左は山の斜面。
立地の意図が実感できる。
関所の手前では赤や青の忍者の扮装をした男女が
「携帯、カメラありましたら忍者がシャッターを押します」
と声をかけて笑わせる。
もちろん頼まなかった。

箱根関所跡
箱根関所跡

ここで女房の両親と合流する。
忠実に再現されたこの関所の見学は有料だが、通過するだけなら無料だというので写真を撮りながら素通りした。
現代の関所破りといえなくもない。

関所を出て箱根宿のあたりを女房の両親を加えた6人で歩く。
しかしここに宿場の面影はほとんど残っていない。
国道1号線の両側にホテルや土産物屋が点在するものの、いたずらに駐車場が広かったりしてだだっ広い印象を受ける。
本陣跡などを示す案内板の類もない。
大観光地となった旧宿場町がその名残を抹消してしまうのは、中山道の軽井沢でもあったパターンだ。

箱根宿
箱根宿

その先の「関所南」という交差点を右折したところに、箱根駅伝の往路のゴール(復路のスタート)地点を示す標柱があった。
テレビ中継を見ながらいつも「どこだろうな?」と思っていた疑問がやっと解けた。
実際に来て見るとなんてことはない駐車場の入口だ。

箱根駅伝往路のゴール(復路のスタート)地点
箱根駅伝往路のゴール(復路のスタート)地点

またそこは海賊船乗り場とつながっている。
折りしも青い海賊船が入港するところだ。
きのうからこれに乗りたがっていた娘は乗り場に向かって駆け出した。
そこで僕らは、ここで女房の両親に娘をお願いして3人で歩き始めることにした。
時刻は10:30AM。

土曜日ということで東海道ウォーカーの団体をちらほら見かける。
前方には大人に引率された小学生の団体が見える。

国道を右にそれてすぐに石畳の坂道が始まる。
道の両側から崩れた土砂が石畳に迫っている。
きのう歩いた道に比べると野ざらし度が高いといえる。
部分的に杉並木もある。

石畳と杉並木の名残
石畳と杉並木の名残

最後に急激な上り坂を階段で上る。
ここで休憩していた小学生の団体を追い越した。
階段を上り切ると国道1号線に合流する。
右手遠くに芦ノ湖が見え、娘が乗っているかも知れない海賊船も見えた。

芦ノ湖
芦ノ湖

さて、ここには旧街道の道筋を案内するような物が何も無い。
目の前の国道には歩道すらない。
6年前はここで完全に方向を見失い、近くの道の駅まで行って売店の人に教えてもらったものだ。
ここは神奈川と静岡の県境の目前で、神奈川県も箱根町も自分のところから出て行く人間のために便宜を図るつもりはさらさらないようだ。

国道に合流する
国道に合流する

歩行者の存在を想定しない国道を歩く。
横断歩道すらない所を何箇所か渡らなければならないのだが、この日はウォーキングの大会でもあるらしく(さっきの小学生は参加者か?)、元警察官のような雰囲気のおじさんが交通整理をして通してくれた。
そして11:10AM、素晴らしいロケーションの連続だった箱根路の、何とも味気ない最高地点に到達する。
(後でわかったことだが、この途中で左に分岐して峠の直前で国道に合流するゴルフ場にアクセスする道が旧東海道の道筋だったらしい)
ここで神奈川と別れて静岡に入る。
旧国名でいえば相模から伊豆に入ったわけだ。

箱根峠に向かう
箱根峠に向かう

静岡に入ってすぐに国道のパーキングエリアのような場所があるのでそこで休憩する。
地図を神奈川県東海道ルネッサンス推進協議会発行の「宿場マップ歩く・知る・発見する東海道!」から社団法人中部建設協会作成の「東海道さんさくマップ」に持ち替える。
これは正確な地図というよりはイラストマップの要素が強いので慣れるのに時間がかかるかも知れない。

静岡に入ってすぐのパーキング
静岡に入ってすぐのパーキング

休憩の間にさっきの小学生にまた追い抜かれた。

再出発するとすぐに伊豆に入って最初の石畳が現れる。
道の両側から笹が高く生い茂ってトンネル状になっている。
勿論下り坂だ。

笹のトンネル
笹のトンネル

10分ほどで「兜石跡」という石碑を路傍に見つけた。
形が兜に似ていたことからこの名が付いたという説と、小田原北条征伐に向かう秀吉がここに兜を置いたという二つの説が存在する巨石がここにあったらしい。

兜石跡
兜石跡

笹の間から差す日差しが石畳をまだらに照らす坂を下る。
一旦国道1号線に合流してすぐまた右の旧道に入る。
そこにさっきの兜石の現物があった。
道路工事のためここに移動したらしい。
おむすび型の巨石で、やはりこの形から「兜石」の名が付いたという説の方が正しそうだ。
秀吉云々は後世の創作だろう。

兜石
兜石

相模の石畳は緑がかったグレイだったのだが、この辺りは地質が違うのか黄色がかって見える。
また街道を挟んで右は杉、左は笹と植生が分かれていたりする。

街道の左右で植生が違う
街道の左右で植生が違う

兜石から20分ほどで比較的見晴らしのきく山の斜面の道に出た。
石畳ではなく草の道を下ると農家の庭先のような場所に出る。
そこにウォーキング大会の係員らしい人が立っていて、
「小学生の団体に会いませんでしたか?」
と聞いてきた。
すぐ先の国道では迎えのバスも待っている。
え?彼らは箱根峠で僕らを追い越して、それ以後は会っていない。
どこかで道を間違えたのだろうか?

視界が開ける
視界が開ける

国道をちょっと歩いてまた石畳の道に入る。
その旧道が国道に合流する直前に「雲助徳利の墓」がある。
どこかの藩の剣術指南役が酒で身を持ち崩して箱根の雲助となった。
義侠心に篤い人柄で仲間から慕われたが、やはり酒で早死にした。
終生酒を愛した人柄を偲んで仲間が建てた杯と徳利が浮き彫りにされた墓だ。
素朴な造形に彼らの飾らない真情が表れている。

雲助徳利の墓
雲助徳利の墓

のあたりで醤油を焼くような香りが漂って来た。
6年前にも立ち寄った団子屋が目の前だ。
勿論今回も入ってみた。
ところがメニューを見ても鰻料理ばかりで団子がない。
店内の壁を見回してみたが団子の「だ」の字もない。
当惑しつつお店の人に尋ねると、
「(修行に出てた)息子が帰って来て鰻専門の店になったんです」
とのこと。
さっきの香りは団子ではなく蒲焼のタレだったのだ。
お詫びを言いながらお茶だけ頂いて店を出た。
こんな山の中でも時は流れている。

鰻料理専門店竹屋
鰻料理専門店竹屋

店を出ると真向かいが山中城跡だ。
この城跡は大きく二つに分かれている。
一つ目を見終わり東海道を通って二つ目に向かうとき旧道を見落として大回りしてしまい、一旦引き返してから旧道を歩き直した。
やはりこの地図ちょっと見づらいかも。

山中城跡
山中城跡

二つ目の城跡を見終わったとき時刻は既に3:10PM。
余りにも素晴らしい城だったので合計2時間も費やしてしまった。
本当はもう少し進みたかったのだが今回の旅はここまでとし、山中城跡バス停から三島駅に向かった。


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