三島~沼津2012.5.13
娘の声で目を覚ますとホテルの窓から富士山が見える。
今日一日富士を見ながら歩けたらどんなにいいだろう。
8:30AMにホテルを発つ。
この「ホテルドーミーイン三島」は本当にいいホテルだった。
僕らが泊まったのはツインとダブルが内扉でつながっているコネクトというプランの部屋。
家族3人+女房の兄貴という僕らにはぴったりだ。
天然温泉の大浴場もある。
これで大人1人素泊まり6,500円。
また泊まる機会がありそうだ。
三島駅からバスで三島大社へ。
きのう入れなかった宝物館で歴史のお勉強。
源氏にゆかりの深い三島大社だが、平家にも好意的な記述が目立った。
大河ドラマに配慮しているのだろうか?
10:30AM、東海道歩きをスタートする。
三島大社の門前町として栄えた三島宿だが、現在大社周辺の一帯に宗教的観光地の雰囲気がわずかにあるだけで、宿場町の雰囲気というものはほとんど感じられない。
ただ街中のいたるところに水路が流れていて涼やかである。
三島広小路駅前の踏切を渡るときに右を見るとホームの屋根の向こうに富士山が見えた。
この後雲に隠れてしまったので結果的にこれが今日最後に見た富士だった。
今日娘は余り歩きたがらない。
やはりきのうよっぽど疲れたのか。
プラスチックの糸巻きにリボンを通して引っ張って転がす手作りのおもちゃでごまかしながら歩かせるのだが、ペースはきのうよりも遥かに遅い。
11:20AM、伊豆と駿河の国境の境川を境川橋で渡る。
国境といってもさっきの水路のような貧弱な川である。
戦国時代にはこの呆気ない国境線をめぐって今川、北条、武田、徳川が血みどろの争奪戦を繰り返していたわけだ。
そこから25分ほど歩くと一里塚に達する。
この1個前の一里塚がどこかというと、きのう雨宿りする直前に通った松並木の中にあったやつだ。
あれからたったの4kmしか進んでいない。
ここで娘のトイレなどでさらに40分ほど留まってから歩き始めて5分ほどで街道右手に八幡神社への参道の入口がある。
この八幡神社には、平家打倒に挙兵した源頼朝と奥州から馳せ参じた源義経が対面した際に腰掛けたという対面石がある。
勿論後世の創作だろうが実際に見てみると二つの石の距離や、頼朝の石がやや高い所にあるなど妙にリアリティがある。
黄瀬川に架かる黄瀬川橋を渡って沼津市に入る。
時刻は1:30PM。
歩き始めて3時間で進んだ距離はわずかに約4kmだ。
道は県道380号線に合流する。
きのうと違って単調な道のりが余計に疲れさせたのか
「疲れちゃうよお」と娘は一層ぐずる。
なだめたり気をそらせたりしながら最後はほとんど抱きかかえるようにして昼食にとあらかじめ目星をつけていたココスに2:00PM頃入った。
すると娘は注文したドリアが来るのも待たずに寝てしまう。
大人3人が食べ終わっても起きる気配はない。
無理やり起こすか、ここで歩きを中止して沼津駅までタクシーで行くかと話し合っている中、試しに耳元で
「おもちゃ買ってあげるよ」
と声をかけてみるとピクリと反応があった。
そこを逃さずたたみかけるように声をかけてレジ横でおもちゃを選ばせる間に完全に目は覚めたようだ。
結局約90分居続けたココスを出た時、娘は完全に元気だった。
歩き始めてすぐに旧東海道が県道を左にそれるとやにわに駆け出した。
大好きな追いかけっこだ。
距離を稼ぐまたとない機会でもあるので付き合ってやると、小休止しながら県道に合流するまでの1kmほどを走った。
沼津の市街地に入り、川廓通りで県道を左にそれる。
この通りは左が狩野川、右は沼津城の外郭に接していたのでこの名が付いたらしい。
宿場の中心的な地域だったそうだが、現在その名残は全く見当たらない。
途中右手にあった草ぼうぼうの公園がお城の名残ではないかと思われる程度だ。
この公園で娘を20分ほど遊ばせてから、川廓通りが沼津駅から延びる道に突き当たる地点で東海道歩きを終了し、現在中央公園となっている沼津城跡に向かった。
2日間終わってみれば予定の15kmを娘は歩いてくれた。
超大物ミュージシャンの家に生まれていたら決してできなかったであろう経験だ。
とはいえ次回からは娘の体力的負担を減らしつつもう少し距離を稼げるやり方を考えたい。
子連れ街道ウォークの模索は続く。