吉原~(富士川駅)2012.11.3
今日は旧東海道が富士山に最も接近する日ということで、なんとしても富士山が見たい。
そこで3日前の天気予報が「晴れ」を打つのを待ってから今回の東海道歩きのためのホテルと切符を手配した。
そして今、吉原本町駅に降り立って吉原宿を歩いてみると、空は確かに晴れている。
天気予報の通りだ。
なのに富士の辺りは雲に覆われて全く見えない。
僕らは前回の「千本松原」「左富士」に続きまたしても富士見の名所を失ってしまった。
今回3歳の娘には車輪の付いた犬型のビニール風船(娘は“ハートちゃん”と呼んでいる)を引っ張らせてできるだけ歩かせてみるつもり。
吉原宿は予想よりも規模の大きな商店街となっていた。
老朽化はかなり進んでいる。
また本陣などの案内が舗道のレリーフに埋め込まれており、これは気付きにくい。
かなり見落としたものと思われる。
宿場を出たところにある公園で娘を遊ばせる。
まだ歩き始めて1時間も経っていない。
この辺りの旧東海道はほぼ生活道路となっている。
これといった見どころもなく、単調な旧道が大通りに突き当たったところで旧東海道は右折なのだが、左にココスが見えたのでそこで昼食にする。
ココスを出たところで娘の足が止まったので今回はまず女房がベビーキャリーmacpacポッサムに娘を背負って歩く。
30分ほどで旧東海道を左にそれ、源立寺へ。
ここには北条氏政の首塚がある。
5代100年に渡って関東に覇を唱えた小田原北条氏の4代目であり、5代目の時点でも実権は握っていた。
しかし新興の秀吉の実力を見誤り、籠城戦の末に降伏。
切腹した氏政の首は京都で晒される。
その首を北条家臣の佐野新左衛門が持ち去り、小田原(早雲寺か?)に向かう途中の吉原で洪水のため足止めを食らってしまう。
仕方なく腐り始めていた氏政の首をここ源立寺に埋葬した。
それがこの首塚だ。
迷路のような墓地のほぼ中央に控えめに建っていた。
旧東海道に戻り、娘を女房から僕、僕から女房の兄貴へとバトンタッチしながら富士川を目指す。
富士川橋で富士川を渡る時、空は完全に曇っていて富士山と愛鷹山と富士川が織りなす雄大なパノラマは拝めなかった。
富士川を越えると旧東海道は突如急な上り坂となる。
上り切ったところが間の宿岩淵。
元々はもっと川沿いに集落があったのだが、たび重なる富士川の氾濫のため崖の上に街道を付け替え、集落も移転した。
そのため不自然なほどの急坂になっているわけだ。
その岩淵に小休本陣常盤家住宅主屋という旧家屋があり内部を公開している。
小休本陣とは宿場と宿場の間にある身分の高い旅行者専用の休憩所。
中山道では茶屋本陣と言ったりするところと同じような物だろうか。
ボランティアガイドさんによると、ここはさる有名女優の父親の実家だそうだ。
この辺りも富士見の名所として有名らしいが、勿論何も見えない。
小休本陣を出ると緩やかに坂を下って岩淵の一里塚に至る。
珍しく左右揃っているが、右側の塚はヘアピンカーブの内側にあって車がその前を結構なスピードで通り過ぎるのでそのまま突っ込んでしまうんじゃないかと怖くなる。
そこから12分ほど坂を下ったところで旧東海道と、富士川駅へと至る道が分かれるのでそこを今日のゴールとして富士川駅に向かった。
富士川駅前の小さな交差点にはなぜか横断歩道がなく、歩道橋を渡らなければならない。
一同口々に文句を言いながら階段を上ると視線の先、垂れこめた雲の上に頭を覗かせた富士山が!
無意味と思われた歩道橋はこのためか?
富士川駅から東海道線で沼津に戻り、沼津リバーサイドホテルへ。