由比~興津2013.2.24

東京駅を8:03AMのひかり463号で出発。
静岡で9:24AMの東海道本線熱海行きに乗り換え、9:45AMに由比到着。
青空の下、電車の窓からはずっと見事な富士が見えていた。

新幹線の車窓から見える富士山
新幹線の車窓から見える富士山

今日はこれからさった峠を越える。
峠から見た富士を描いた広重の浮世絵で有名な峠だ。
千本松原、吉原、富士川、岩淵と富士見の名所をことごとく天気に裏切られて失ってきた僕らである。
さった峠の富士だけは何としてでも見たい。
そこできのう土曜日夜のテレビで天気予報が今日日曜日の晴れを予報するのを確認してから日帰り峠越え決行を決めたのだ。

由比駅横の公園でトイレと準備運動を済ませて10:10AMに歩き始める。
4歳になったばかりの娘は最初からベビーキャリーmacpacポッサムに乗せて背負っている。
事前情報ではここから2kmほどの所に一気に勾配がきつくなる場所があるらしいので、そこからは自分で歩いてもらうつもり。

由比駅近くの東海道
由比駅近くの東海道

県道を10分ほど歩くと、歩道橋の脇に旧道の入口がある。
そこを入ると道幅といい、くねり具合といい、両側の家並みの雰囲気までもが旧街道らしい旧街道だ。
道に適度な起伏があるのもいい。

寺尾地区あたり
寺尾地区あたり

少し歩いては後ろを振り返って富士を見る。
今のところまだしっかり見えている。

振り返って富士を見る
振り返って富士を見る

時々左手の視界が開けて駿河湾とその向こうの伊豆半島が見渡せる。

街道左手の景観
街道左手の景観

2月の陽光の下、開放感たっぷりの旧東海道を歩く。

雰囲気のある道が続く
雰囲気のある道が続く

10:50AM、掻き揚げの有名店「くらさわや」の前に到着。
是非食べてみたかったのだが、開店11時の10分前にして既に22人待ちの状態だ。
ここで余計な時間を費やして峠に着くまでに天気が急変でもしたら今日の日帰り強行軍が無意味になってしまう。
一応東京駅で昼食用のパンは買っておいたので、無事峠で富士を見てからそいつを食べることにしよう。
それで店の前を素通りしてから振り返るとゴチャゴチャした旧街道の彼方に富士。
こういうのも悪くない。

くらさわ屋の先から振り返って見た富士
くらさわ屋の先から振り返って見た富士

さらに15分ほどで西倉沢に至る。
ここはかつての間の宿で、現在でも本陣跡をはじめ旧い家屋が残っていて街道風情満点だ。

西倉沢
西倉沢

この集落の西の端に「望嶽亭」という、かつて茶屋だった建物が残っている。
実はここは幕末史に重要な役割を果たした場所だ。
事前情報では建物内部の見学は予約が必要だということだったが、表の説明板を読んでいると中からおばさんが出て来て
「どうぞ中も見て行って下さい」
と声をかけてくれたのでお言葉に甘えて上がらせてもらった。

望嶽亭
望嶽亭の説明板

慶応4年、鳥羽伏見の戦いで勝利した新政府軍は江戸を攻めるべく東海道を東進していた。
将軍慶喜は既に戦意を失っている。
これ以上の戦火を避けたい勝海舟は新政府軍参謀の西郷隆盛に江戸城総攻撃を思いとどまらせる旨の手紙を幕臣の山岡鉄舟に託して東海道を西進させた。

望嶽亭内部
望嶽亭内部

ところが由比で鉄舟は新政府軍に見つかってしまう。
追っ手から隠れるために逃げ込んだのが当時は藤屋と称していたここ望嶽亭だ。

土蔵内部
土蔵内部

鉄舟がかくまわれた土蔵に案内されると当主らしい年配の男性が説明してくれた。
「山岡鉄舟のことはご存知ですか?」
というので僕が
「ええ、勝海舟の使いで・・・」
とまで言ったところで即座に
「それは海舟が勝手に言ってるだけで」
と、言下に否定された。
おじさんの説明によると慶喜自ら西郷への使者にふさわしい人物として自らの護衛を勤めていた鉄舟を海舟に紹介したらしい。

土蔵の窓
土蔵の窓

この土蔵にかくまわれた鉄舟は隠し階段を下りて浜辺に脱出する。
その階段もみせてもらった。
50cm四方ほどの床をはずすと階下への階段が現れた。
「この間テレビの撮影で女優の杏さんも下りたんですよ」
BSジャパンでやってる『恋する東海道』ってやつだな。
つい先日録画してまだ見ていない。

かくし階段
かくし階段

狭くて急な階段を下りるとそこが1階で、外はJR東海道線と自動車道、その向こうが海だ。
勿論当時はすぐに砂浜だったが、その砂浜は安政の大地震で隆起してできたもので、それ以前は直接海岸だったらしい。

土蔵1階出口
土蔵1階出口

もしここで鉄舟が捕われて殺されでもしていたら江戸城無血開城は成立していたかどうか。
生々しい歴史の現場を見させてもらった。
得難い経験だった。

望嶽亭を出るとそこが峠に向かう旧勾配の始まりだった。
予定通りここからは娘にも歩いてもらう。

街道は見る見る高度を上げる。
左手が崖で、海面が良く見えるのでどれだけ高くなったのか目で見て実感できる。
右手はみかん畑。
時々振り返っては富士の写真を撮りながら歩く。

みかんと富士山
みかんと富士山

反対方向からのハイカーとひっきりなしにすれ違う。
車の通行量が意外と多いことだけが残念。

望嶽亭を出てから30分ほどで「さった峠」の看板が立つ地点に到着。
ここでたっぷり時間をかけて写真を撮り、そのちょっと先の駐車場で休憩する。
ここは展望台のようになっていて、たくさんの人が集まっている。
現在ではここが峠といっていいだろう。

さった峠の駐車場
さった峠の駐車場

トイレを済ませて再出発。
いきなり急な階段を下りる。
ここからは車の通らない海沿いの遊歩道だ。

急な坂を下る
急な坂を下る

展望台で写真を撮ったりしながら進む。
右手にあずまやがあったのでそこで昼食にしようとすると娘が地べたにレジャーシートを敷いて食べたいというので、あずまやの隣の草の上に敷いて海を見ながら東京駅で買ったパンを食べた。

興津に向かって歩き始める
興津に向かって歩き始める

1:20PM、再出発。
草の道を10分ほど歩いて撮った富士の写真が最も広重の浮世絵に近いような気がする。
もっとも広重が実際に当地に来てこの風景を見た可能性はかなり低いので、あんまり意味のあることでもないのだが・・・。

広重の浮世絵に近い富士
広重の浮世絵に近い富士

青い空の下の青い海に向かって遊歩道を降りてゆく。
沿道には梅はもちろん、なぜか桜も咲いている。

桜と東海道
桜と東海道

すると今度は1mほど地面を掘って通した道になる。
これは多分街道時代からの切り通しだろう。
左右の樹木が鬱蒼と頭上を覆い、いきなりトンネルに入ったようだ。

堀切の道
堀切の道

そこを抜けると墓地の間を通って舗装道路に出る。
風情ある集落、風光明媚な遊歩道、史跡もある。
素晴らしい峠越えだった。

緩い坂を下って平地に出て興津駅に向かう。
途中右に伸びる道の追分に「身延山道」の道標が建っている。
これは駿河と甲斐を結ぶ道で、鎌倉時代からあった道を武田信玄が軍用道路として整備したものらしい。
かつて歩いた「棒道」と同じようなものだ。

平地に向かう
平地に向かう

そのすぐ脇の一里塚跡の石碑の他に往時を偲ぶ物が何も無い国道1号線を歩いて興津駅に着いたのが3:10PM。
娘は結局峠越えを含む5kmを自分の足で歩いてくれた。

一里塚跡
一里塚跡

東海道本線で静岡まで行って、新幹線で東京に帰った。
次回はここから静岡駅までの約14kmを、城めぐりもしながら1泊2日で歩く予定。
ただし、それがいつになるのかは全くの未定。


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