興津~(草薙駅)2014.2.22
9:43AM、興津駅前に立つ。
1年振りの東海道。
5歳になったばかりの娘には勿論歩いてもらう。
体重20kgを背負って歩くのはもはや不可能だ。
これといって特徴のない興津宿を歩き始める。
意外と海の近くという感じはしない。
右側に西本陣跡の標柱があり、そこだけ建物がなく駐車場になっている。
そのスペースは間口が狭く奥行きが長い。
間口の広さで労役の人数が決められた江戸時代の宿場らしい土地割りだ。
さらに歩くと右側に清見寺が現れる。
しかし地図によるとその手前に清見関跡というのがあるはずだ。
後ろを振り返ってよく見ると右隣の観音霊場というお寺らしき建物の塀に倒れかかった白い杭に「清見関跡」の文字。
ここに平安・鎌倉期に関所が設けられていた。
東海道を挟んで北側は山、南側は海というロケーションは関を置くのに好都合だったと思われる。
清見寺は門と境内の間を電車が通るというちょっとシュールなロケーションになっている。
陸橋を渡って境内に入ると家康手植えの梅や竹千代(家康の幼名)手習いの間など見所豊富な寺だった。
12:48PM、江尻宿に入る。
江尻とは今で言う静岡市清水区だ。
かつてはそれなりに栄えた宿場だったらしいが、鉄道が敷かれて以来賑わいを駅前に持って行かれて現在では見る影もないシャッター通りだ。
そのシャッター通りの先にある江尻城跡を見てから江尻宿を出、一旦旧東海道を離れて「さと」で昼食をとる。
再び歩き始めてしばらくすると左手に「久能寺観音道道標」が現れる。
久能寺とは元々久能山にあった寺だが、武田信玄がその地に久能城を築いたため移築を余儀なくされた。 今ここから左に分かれる道を行けばその寺に辿り着くのだろうが、現在その道標の背後は巨大なショッピングセンターとなっていて旧道風情と巨大資本が同居する不思議な空間となっている。
そこから10分ほどで「上原延命子安地蔵尊」の前に着く。
ここは武田信玄が永禄11(1568)年の今川攻めの際に陣を置いた場所であり、また信玄没後の天正10(1582)年、信長傘下の家康が武田勝頼を攻めるに先立って武田の宿将穴山梅雪と会見して織田方に寝返らせた場所でもある。
ちっぽけな地蔵尊ではあるが歴史的にはなかなか重要な場所である。
そこから1時間弱で左前方に巨大な鳥居が見えてくる。
草薙神社の鳥居だ。
今日はこのすぐ先の草薙駅をゴールとして、宿をとってある三保の松原に向かった。