(草薙駅)~府中2014.2.23

9:00AM、宿泊した旅館潮騒をチェックアウトして三保の松原に向かう。
富士山と一緒に世界遺産に登録されたということで臨時駐車場なども目立つが、周辺に世界遺産というようなスペシャルな雰囲気は薄い。

三保の松原
三保の松原

確かに松原はそれなりの景勝地だった。
伝説の「羽衣の松」は3代目とあってそれに何を感じていいのか正直わからない。
海に出て左を見ると薄い雲の上に富士の山頂がうっすらとのぞいている。
もっと下まで見えたらかなりの迫力ではないかと思われる。

三保の松原の富士
三保の松原の富士

バスで清水駅に向かい、そこから東海道線で一駅の草薙で降りて東海道の歩き旅を再開した時はもう11時半を回っていた。

草薙付近の東海道
草薙付近の東海道

主に住宅街の中を縫うように歩く。
1時間ほどで東海道線の線路に突き当たる。
ここを地下道で通り抜ける。
その地下道は車が1台通るのがやっとくらいの幅しかないのに、歩行者専用ではない。

東海道線の地下通路
東海道線の地下通路

見てると本当にぎりぎりの幅の穴に車が入ったり出て来たりしている(つまり一方通行でさえない)。
「中に非難帯があります」とは書いてあるがそれでも怖すぎる。
ドライバーに僕らの存在を少しでも早く知らせるために娘に大声で歌を歌わせながら足早に通り抜け、突き当たったところを左の階段を上って地上に出るのとほぼ同時に右のスロープから道幅いっぱいに車が入って来た。
こんな怖ろしい道がよく放置されているものだ。

旧東海道は一瞬国道1号線と合流してからすぐに北にそれる。
ゆるやかにカーブする旧道が再び国道と交差する地点にでるとその先はできたばかりと思われる大型ショッピングセンターとなって消失している。
2:20PM、そのショッピングセンターのフードコートで遅い昼食をとる。

東海道がショッピングセンターに突き当たる
東海道がショッピングセンターに突き当たる

歩きを再開して15分ほどでまたも国道1号線を南から突き抜ける。
するとそこが府中宿の入り口で、案内板にはここに「東見附」が置かれていたと書いてある。
その案内板は家康を「家康公」と呼び、敬語が使われている。
家康の縄張りに足を踏み入れたことを実感する。

府中宿に入ったところ
府中宿に入ったところ

府中とは駿河の府中、いわゆる駿府のことだ(現在の静岡市中心部)。
家康は少年時代を今川家の人質としてこの地で過ごした。
そして征夷大将軍の座を秀忠に譲った後、駿府を隠居の地と定め駿府城を築いた。
そこで大御所政治を行ったわけだ。
そんな歴史もあって東海道中最大規模を誇ったという府中宿だが、入ってみると江尻以上に寂れた印象だ。
ただ抜け道か何かになっているらしく交通量は多い。
人気(ひとけ)のないシャッター通りを車だけがひっきりなしに通り過ぎてゆく。

シャッター通りを通り抜ける車
シャッター通りを通り抜ける車

途中久能山東照宮道の標柱が建っている。
そこから久能山への道が分かれていたということだ。
元々は久能海岸で取れた塩を駿府に運ぶために古代から使われた静岡県内では最も古い道だということだが、今旧東海道を左にそれるその道をのぞいて見ても、ただの冴えない裏通りというだけで旧街道の雰囲気は感じられない。

能山東照宮道
能山東照宮道

その先は急に栄えた都会になって、東京でいえば池袋に近い雰囲気。

市街地に入る
市街地に入る

とある雑居ビルのパチスロ屋「LAS VEGAS」の入り口の脇に説明版がある。
この3軒隣(同じビルのホテルCITIOか)で山岡鉄舟と西郷隆盛の会談が行われたとのことだ。
昨年2月24日に書いた通り、由比の望嶽亭の土蔵から隠し梯子を降りて危機を脱出した鉄舟はここで西郷と会談して江戸城の無血開城と慶喜の助命を嘆願する。

山岡・西郷会見の地の碑
山岡・西郷会見の地の碑

実質的に交渉はここでまとまったので、江戸での勝と西郷の会見はセレモニーに過ぎないとこの説明版は述べている。
つまりそれだけ歴史的に重要な場所だと言っているのだが、それにしては説明版の場所が軽すぎないだろうか。
するとそこから数十メートル進んだところにもう少し立派な石碑が建っていた。
こちらは西郷・鉄舟の似顔絵レリーフ付きだ。

山岡・西郷会見の地の碑
山岡・西郷会見の地の碑

その先東海道は複雑に屈曲するのだが、その最初の曲がり角、「徳川家康公後遺訓」というレリーフの前で今回の東海道の旅は終わりとし、駿府城に向かった。
5歳の娘は1泊2日で計15kmを歩いた。
正直言ってこの2日間、街道風情を感じさせるようなものは余りなかった。

駿府城
駿府城

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