府中~(二軒屋バス停)2015.2.14

今回の東海道歩きは自動車での遠征にチャレンジ。
柏市内の女房の兄貴の家を5:30AMに出発、2度の休憩を挟んで静岡駅から南に800mの静岡ビクトリアホテルに着いたのが10:30AM。
ホテルの立体駐車場に車を置いて歩き始める。

東名高速道路で静岡に向かう
東名高速道路で静岡に向かう

まずは駅のすぐ北にあるはずの徳川慶喜屋敷跡を目指す。
鳥羽・伏見の戦いに敗れて新政府に恭順した慶喜が移り住んで20年を過ごした屋敷だ。
意外と探すのに手間取って、20分ほど時間をロスしてやっと現在は浮月楼という料亭になっている屋敷跡にたどり着いた。
門構えに高級感が漂う。
勿論入る度胸はない。
婚礼が終わったところと思しき敷地内を門外からちょこっとのぞいて立ち去った。

徳川慶喜公屋敷跡
徳川慶喜公屋敷跡

11:25AM、前回のゴール地点、駿府城近くの交差点から1年振りの東海道歩きを始める。

道筋は静岡市の中心街をジグザグに縫って行く。
往時のままと思われるヒューマンスケールの道幅が心地良く、道の両側には商店が建ち並んでいて活気がある。
喫茶店も多い。
とても好感の持てる街だ。

呉服町
呉服町

中心街を出てしばらく歩き、空腹に耐えかねて通りすがりの店でたい焼きを買い食いして、また歩き始めるとすぐに有名な安倍川餅の店が見えてきた。
餅屋に入る前に、その向かいの公園に立ち寄る。
旧街道が国道362号線と合流する地点に設けられたこの三角公園は川会所跡
江戸時代、この目の前の安倍川には橋を架けるのが禁じられていた。
旅人は川越人夫を雇って川を渡るのだが、その人夫を監督する役所が川会所だ。
なぜ架橋が禁じられていたかというと、西国から敵が攻め上って来るのを食い止めるためだそうな。
いつもながら社会の発展よりも自家体制の安泰のみを優先する徳川幕府の小心さには辟易させられる。

安倍川の川会所跡
安倍川の川会所跡

細長いこの三角公園の先端部分は立場の跡で、その手前には大きな石碑が建っている。
何かと思って見ると由井正雪公之墓趾である。
幕権華やかなりし江戸前期に幕府転覆を企てた人物だが(露見して自害)、歴史的な業績に対してこの石碑は大き過ぎないだろうか?
どうやらこれを建てた明治政府は敵の敵は味方とばかりに徳川幕府にたてついた人間は何でも顕彰したかったらしい。

由井正雪公之墓趾
由井正雪公之墓趾

さて安倍川餅屋のせきべやに入る。
図体のでかい亭主が無愛想に迎える。
壁には有名人のサインがびっしりと並んでいる。
この中の、例えば黒柳徹子に対しても同じ態度で接するのだろうか?
餅はあんこと黄な粉があってどちらも美味しかった。

せきべや
せきべや

せきべやの軒下には鉄アレーが転がっていた。
あの亭主の物だろう。
店を出ると同じような茶屋が何軒か並んでいて、安倍川手前の立場の雰囲気が感じられる。

1:20PM、青空の下、安倍川橋で安倍川を渡る。
現代の安倍川は水量がめっきり減ったのか、これなら川越人夫なんか雇わなくても自力で渡れそうだ。
対岸の堤防まで行って振り返ると富士山がきれいに見える。
しばしここで撮影タイム。

安倍川
安倍川

安倍川の渡しのルートは現代の安倍川橋よりもやや南にあったらしい。
そこで橋の袂から南を見ると、数メートル先に堤防から川の反対方向に下りる階段が見える。
ここで僕の“旧街道センサー”が反応する。
街道を横切る川の堤下には往々にして立場の雰囲気の残る一画があったりする。
中山道の塩名田などで経験済みだ。
今この堤防を下りる階段から見下ろすと、軒の低い古ぼけた日本家屋が3軒並んでいてそれなりの風情を醸している。
ここが立場の跡だという標識等はなかったが、旧街道であることは確信した。

安倍川西岸の旧道
安倍川西岸の旧道

その道はすぐに安倍川橋を渡った国道362号線と合流して丸子まりこに向かう。
所々にかなりの樹齢と思われる松がポツンと立っている。
松並木の名残だろうか。

松並木の名残か
松並木の名残か

2:35PM、明瞭な枡形の跡があってここから丸子宿であることがわかる。
かなりお腹が空いてきたが、今日の昼食は広重の絵でも有名な丁子屋のとろろご飯と決めているので、我慢して静かで小さな住宅地となった丸子宿を歩き続ける。

枡形の跡
枡形の跡

3:10PM、河沿いの坂をわずかに上ったところに丁子屋が現れた。
確かに広重が浮世絵に描いた通りの茅葺屋根の鄙びたたたずまいだ。
ところが中に入って「4名さま、どうぞこちらへ」と案内されるままに奥へと進むと小さな小屋のような建物の奥に建て増しがしてあって、通されたのはテニスコートが2面取れそうなほどの大広間。
イメージが軽く狂う。

丁子屋
丁子屋

麦飯にとろろ汁をかけて食べるとろろ飯は女房と女房の兄貴には好評だったが、僕はとろろ汁と麦飯の分量の程よいバランスが最後までつかめず、ご飯を食べ終わった後にかなり残ったとろろ汁をずずーっとすする破目になった。

丸子橋
丸子橋

食事を終え店の目の前の丸子橋を渡ると、そこに江戸時代の高札場が再現されている。
ここのベンチで、さっきとろろ飯を食べなかった娘にパンを食べさせる。
向かいはなんと丁子屋の第2駐車場だ(第1駐車場はあの大広間の裏)。
広重の浮世絵に描かれた通りの外観を守って山里でひっそりと商いを続けているようなイメージを持ってやって来たが、実際は随分と派手にやっているようだ。
相当のヤリ手がいるらしい。

高札場跡
高札場跡

そこから20分ほど歩いて旧東海道が国道1号線と合流するところで今日の行程を終わりにして、二軒屋バス停から静岡駅に引き返した。
明日は街道は歩かずに観光する。
さてバスが走り始めてすぐ、窓の外に見えたある物に僕らは驚愕した。
「丁子屋第3駐車場」!


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