(二軒家バス停)~岡部2015.3.7
今回も女房の兄貴に車を出してもらっての遠征。
前回とは打って変わって雨の東名高速と新東名高速を西へ。
沼津あたりでは本降りだった雨は藤枝岡部インターチェンジを降りる頃には止んでくれた。
岡部宿近くのきくや旅館の駐車場に車を置かせてもらう。
ここが今日の宿であり街道ウォーキングのゴールでもある。
最寄の藤枝市役所岡部支所前バス停に行くとあいにくバスは今出たばかり。
仕方なく時間つぶしにすぐ近くの観光案内所をのぞくと親切なおじさんがこれから歩く所の色々な資料を渡してくれた。
バスに乗って前回のゴール地点、二軒家バス停に着いたのが11:00AM。
早速東海道ウォークを始める。
旧東海道は国道1号線とつかず離れず絡みながら西に進み、1時間ほどで宇津ノ谷トンネルの手前で右にそれる。
舗装道路のカーブに沿ってそれなりに雰囲気のある日本家屋が2~3軒並んでいる。
期待がふくらむ。
程なく道幅3mほどのわき道に入る。
いよいよ間の宿・宇津ノ谷だ。
宇津の谷峠に向かう坂道の両側に木造の日本家屋が建ち並ぶ。
どの家も軒下に屋号をぶら提げている。
そのうちの一軒、「御羽織屋」に凄い物があるというので屋敷の裏へ回ってそこに吊るしてある呼び鈴を鳴らして案内を乞うと中からお婆さんが出て来て座敷に招き入れてくれた。
靴を脱いで拝観料をお盆に納めると、そこには何と豊臣秀吉の小田原攻めの際に秀吉本人から拝領したという陣羽織があった。
ピンクがかった、派手好みの秀吉らしい色合いの羽織の由来を説明してくれるお婆さんは低く見積もっても80代、恐らくは90代とお見受けした。
うっかりするとこのお婆さんが秀吉から直接拝領したような錯覚に陥りそうだが、説明する口調には全くよどみがない。
この羽織を見に家康もここを訪れて、その時に置いて行った茶碗もあった。
この建物自体、柱と梁はその当時のままだということだ。
秀吉や家康が触れたかも知れない黒光りする柱を触らせてもらって御羽織屋を後にした。いい物を見させていただいた。
娘の分の拝観料をチャラにしてくれたお婆さんの親切も心にしみる。
緩やかな坂道はさらに石段となって急坂を上り、つづら折の舗装道路に突き当たる。
少し歩くと左側に「旧東海道のぼり口」という案内板があって未舗装の坂道が延びている。
いよいよ峠越えの始まりだ。
5分ほどで宇津ノ谷の集落を見下ろせる場所があったので、ここで沼津駿河サービスエリアで買った弁当を広げた。
右側の崖下には明治時代のトンネルを抜ける抜けるハイキングコースがあるらしい。
ここから見ていると次から次へとハイカーが歩いて来る。
それにひきかえ旧東海道には誰も来ない。
なぜだろう?
1:20PM、昼食を終えて歩き始める。
10分ほど歩いたところで斜面を石垣で固めた一画が忽然と現れる。
これは江戸時代に地蔵堂があった跡だ。
そこからさらに5分ほどで両側の斜面が迫って道がV字形になっている所に出る。
ここが峠だ。
思ったよりあっさり着いた。
あとは下り坂。
その下り坂がさっきまでの上りよりも急勾配で、しかも若干長い印象だ。
京都側から歩くと意外ときつい峠なのかも知れない。
峠から15分ほどで舗装道路に合流する。
この先は国道1号線の敷設で地形が大きく変わっていてどれが旧東海道なのか判然としない。
「東海道さんさくマップ」を見ても大雑把で要領を得ない。
とにかく2:05PMに国道1号線沿いの道の駅宇津ノ谷峠に着いたので休憩をとる。
その後旧道の道筋を確かめようと引き返したものの、結局よくわからずに再び道の駅に戻るまで30分ほどロスする。
道の駅から先は比較的分かりやすい旧道が続いて県道208号線に合流する。
すぐに枡形跡の説明版が建っている。
枡形とは敵の侵入を妨げるために宿場の出入り口に設けられた道を鉤方に屈曲させた場所のことだが、今この県道は真っ直ぐにしか見えない。
ここから岡部の宿場が始まるはずなのだが、それらしい雰囲気も無い。
やがて旧道は県道を右にそれる。
そのポイントに西行法師ゆかりの「笠懸松と西住墓」という説明版があって、さして古くもない松が植わっている。
不勉強で、それを読んでも何のことかよくわからなかった。
その旧道が再び県道に合流した所に大旅籠柏屋がある。
ここは今に残る旅籠の建物を資料館として公開している。
中に入ると上がり框で足を洗う二人の旅人(野次喜多?)のろう人形などがあって往時の雰囲気を再現している。
隣は本陣跡で、こちらは建物はなく立派な門が残っている(再建か?)。
その門をくぐると本陣の広大なスペースが広場になっていて、間取りが地面に描かれている。
門の内側は一段高くなっていてステージのようになっている。
ここでライブをやったら楽しいかも知れない。
「向島純情楽団ライブ・アット岡部宿本陣」
いいぞ。
旧東海道はまたすぐに県道をそれて進み、5分ほどで50cmほどの小さな橋に至る。
これは晩年の小野小町が水面に映った自らの老残の姿を嘆いたという伝説が残る姿見の橋。
その先宿場の半ばあたりで再び枡形らしき道の屈曲を経て、一軒の堂々たる門構えの旧家の前に出る。
元サッカー日本代表・中山雅史さんの実家だ。
数年前に日本旧来の工法でリフォームしたというお宅の表札には一時期テレビに出まくっていた「中山儀助」の文字。
ここであの素晴らしいパーソナリティが育ったわけだ。
そこから5分ほどで旧東海道が今夜の宿・きくやに最も接近する地点に達するので、ここを本日のゴールとして宿にチェックインした。