島田~金谷2015.12.30
10:00AM、大井川公園バス停に降り立ち、今日の東海道ウォークを始める。
小心な徳川幕府のせいで誰もが難渋を強いられた大井川を大井川橋で渡る。
現代の大井川はそれほど深くないように見える。
ただ川原には大水で上流から根こそぎ流されて来たと思しき流木がそこかしこに倒れたまま半ば埋まっていた。
対岸の丘の斜面はびっしりと茶畑で埋まっている。
今日これから上る金谷坂はあの丘の中にあるらしい。
橋を渡りきって遠江国に入る。
堤の上を南に歩き、旧東海道が始まるところで堤を下りる。
すぐに「金谷宿川越し場跡」という案内板の建つ小公園に達する。
かつてはこの辺りまで川原だったらしく、このちょっと先に川越人足の詰め所などが建ち並ぶ河原町が形成されて金谷宿の一部となっていた。
現在ではひっそりとした住宅街になっている。
そこから少し歩くと元々の金谷宿に入る。
河原町ができてからはこちらを「金谷本宿」と呼ぶようになったらしい。
なだらかな坂道に商店が建ち並んでいて、宿場の色々な施設の跡地にはまめに案内板を建てて丁寧に説明している。
そのうちの一軒、「佐塚屋本陣」は現在「佐塚書店」になっていた。
中山道と東海道を歩いて色んな本陣跡を見て来た。
一番多いのは駐車場、続いて医者・金融機関というところだったように思うが、本屋というのは多分初めてだ。
その先旧道は東海道本線で分断されているので、ガードをくぐって再び旧道にアクセスすると一気に道幅は狭く、勾配も急になる。
交差する車道を横断するとすぐに金谷坂の石畳が現れる。
鬱蒼と生い茂る樹木で昼なお薄暗い山道を進む。
この石畳の石は球状に丸みをおびていて大そう歩きにくい。
足元から目が離せない。
その名前から、受験生に人気の「すべらず地蔵」を右に見て通り過ぎるとやがて樹木が途切れて空が広がり、茶畑の広がる平原に出る。
12月の陽光の下、茶畑を左に見ながらアスファルトの旧道を歩く。
右側の「諏訪原城」を通り過ぎた所にある「こもれび」という山小屋風の喫茶店で昼食を取ることにする。
思いのほか雰囲気のいい店でまったりとした時間を過ごした。
その後諏訪原城を見学したところで(2:30PM)、諏訪原城跡バス停で次バスの時間を見るとあと2時間近くもある。
僕と女房の二人だけなら迷わずこの先の小夜の中山峠を越えた先にある次のバス停まで4kmほど歩くところだが、娘と女房の兄貴はかなり疲れてしまっているようだったので、今日の東海道ウォークはここまでということにして、金谷駅まで歩いて戻った。