金谷~日坂~掛川2017.2.25

一昨年12月以来の東海道歩き。
前回は金谷の坂を登り切ったところにある諏訪原城までだったので、今回はそこから掛川まで歩く予定。

女房の兄貴の運転する車を今夜宿泊する「スマイルホテル掛川」の駐車場に停め、掛川駅からJR東海道線で2つ目の金谷へ。
つまり今日のゴール地点からスタート地点まで電車で移動したわけだ。
ふた駅といっても駅と駅の間が随分と長く、これを今日これから歩くのかと思うと先が思いやられる。

金谷駅からはタクシーで諏訪原城へ。
8:14AM、丸1年振りに東海道を歩き始める。

旧東海道を歩き始める
旧東海道を歩き始める

いきなり石畳の下り坂だ。
比較的整然とした石畳は近年の復元だろう。

復元された石畳を歩く
復元された石畳を歩く

すると10分ほどで案内板が現れて、ここから先は江戸時代後期の石畳だと教えてくれた。

案内板を見る
案内板を見る

その石畳を歩いて見る。
確かに石畳はゴツゴツ感が増している。
歩き易くはない。
石畳自体は風情があっていいのだが、並行する車道が常に見えるためタイムトリップ感は乏しい。

車道と接する旧東海道
車道と接する旧東海道

下り坂の先に集落が見えてきた。
石畳が終わって平地に下りると、早くもヒザが笑っている。
時刻は8:30AM。
歩き始めてまだたったの15分だ。

菊川が見えてきた
菊川が見えてきた

ここは江戸時代には金谷と日坂の間に位置する「間の宿」菊川
かつては行き交う旅人に食事や休憩などの便宜を図ったこの地で諏訪原城からの下り坂は底を打ち、上りに転じる。

菊川
菊川

それも相当に急な坂だ。
中山道の塩尻峠のようだ。
小2の娘は早くも音を上げ始める。

急坂
急坂

左手には茶畑が広がる。

茶畑
茶畑

急な坂は終わっても緩い上りがダラダラと続く。
娘を何度も休ませながら少しずつ進む。
9:20AM、やっと坂を登りきったらしい所に到達した。
ここが小夜の中山峠だ。

緩い上り坂
緩い上り坂

街道の左側の空きスペースは鎌倉時代からあったという接待茶屋跡

接待茶屋跡
接待茶屋跡

その向かいの久延寺には夜鳴き石なる巨石が鎮座している。
その昔お石という妊婦が賊に殺され、その魂魄がこの石に乗り移って夜な夜な泣き声を上げたとか。
この説明の出典は滝沢馬琴『石言遺響』。

夜泣き石
夜泣き石

またこの久延寺では慶長5年(1600)、会津の上杉討伐に向かう徳川家康を掛川城主だった山内一豊が茶をたててもてなしている。

茶亭跡
茶亭跡

9:34AMに久延寺を出る。
茶店が何軒か並んでいるが、時間が早過ぎるのか開いていない。

小夜の中山の茶店
小夜の中山の茶店

茶畑の間を通る下り坂の彼方には遠州灘の水平線が見える。
中山道にはない、東海道ならではの景観だ。

遠州灘が見えてきた
遠州灘が見えてきた

9:38AM、小夜鹿の一里塚を過ぎる。
するとこの辺りから小夜の中山を詠んだ歌碑がいくつも現れる。
ここは随分と有名な歌枕だったらしい。
不勉強でひとつも知っている歌はなかった。

小夜鹿の一里塚
小夜鹿の一里塚

雲ひとつ無い空の下、歌枕としても高名な景勝地を気分良く歩く。
ただ絶え間なく吹き付ける風が冷たい。

緩やかな坂を下る
緩やかな坂を下る

10:07AM、芭蕉の句碑や、芭蕉が休んだ涼みの松(2代目)などが集められた街道右手の小公園で小休止。

涼み松
涼み松

向かいの茶畑の中に妊婦の墓がポツンと建っている。
説明を読むと、「松の根元で自害した妊婦小石姫(三位良政と月小夜姫との間に生まれた子)を葬った所」とある。
さっきの久延寺の説明版より妙にリアルになっている。
馬琴はこの墓を見て『石言遺響』の着想を得たのではないだろうか。

妊婦の墓
妊婦の墓

再び歩き始めて10分ほどすると街道左手に夜泣石跡が現れる。
夜泣き石は元々この道の真ん中にあったらしい。
ということはここが犯行現場ということか。
そういえば確かに日当たりのいいこの辺りの街道筋でここだけが両側に木々が鬱蒼としていて薄暗い。

夜泣き石跡
夜泣き石跡

さらに街道がうねうねダラダラと下って民家などがポツポツ見えるようになったかと思うのも束の間、

民家が見え始めた
民家が見え始めた

途中からとんでもない急勾配の下り坂となる。
アスファルト舗装をしてあるということは車も通るのだろうか?
坂の上の方の民家では軽自動車が停まっているのをいくつも見たが、軽でこの坂を登れるとはとても思えない。

急激な下り坂
急激な下り坂

この急坂が緩やかになって自動車道をくぐると日坂宿に入る。
静かなたたずまいの民家の軒先に屋号を書いた表札が架かっている。

日坂宿に入る
日坂宿に入る

すぐにだだっ広い公園の前に出るが、ここが本陣跡。

本陣扇屋
本陣扇屋

宿場内には旧い建物が点在する。

日坂宿
日坂宿

11:20AM、その中の1軒、伊藤文七邸脇のベンチで昼食にする。
各自牧之原サービスエリアで買ったおにぎりやサンドイッチをパクついた。

伊藤文七邸
伊藤文七邸

昼食後、旅籠「川坂屋」を見学。
ここは格の高い旅籠だったらしく、上段の間もある。

川坂屋内部
川坂屋内部

川坂屋を出て緩い坂を下って達する橋の手前に高札場下木戸跡があって、日坂宿は終わる。
12:02PM。
地味ながら雰囲気のある宿場だった。

高札場跡
高札場跡

20分ほどで国道1号線に合流する。
その地点に坂上田村麻呂が興したという事任ことのまま八幡宮の前を通り過ぎるとあとは退屈な国道が延々と続く。
娘も疲れてペースは一向に上がらない。

事任八幡宮
事任八幡宮

14:23PM、馬喰橋を渡ったところに伊達方一里塚があった。
ひとつ手前の小夜鹿の一里塚を通過したのが9:38AMだったので、4km進むのに休憩込みとはいえ4時間近くもかかっている。

伊達方一里塚
伊達方一里塚

間もなく掛川の城下に入る。
しかしそのためには新町七曲りなるものを通過しなければならない。
これは掛川城下を整備した山内一豊が、外敵の城下への侵入を難しくするために設けたジグザグの道筋のことである。
それではB級戦国武将、一豊と勝負だ。

結論から言うと僕らは一豊に惨敗を喫した。
最初に曲がるところこそわかったものの、その次に折れる地点を見落として引き返し、さらに1箇所見落としたせいで七曲りのゴール地点がわからずまた引き返すという失態を演じてしまった。
その上で正しい道筋を紹介すると、

まずはこの歩道がだだっ広いT字路を左に折れ、

まず左に折れる
まず左に折れる

民家の塀が途切れたところの路地を入り、

右の路地に入る
右の路地に入る

突き当たりに常夜灯のある角を左に折れ、

常夜灯の角を左
常夜灯の角を左

工場の敷地に突き当たって右折、

工場に突き当たって右
工場に突き当たって右

左手に「魚林」という看板が見えるとすぐに突き当たるので右へ。

魚林の突き当たりを右
魚林の突き当たりを右

その先のジグザグは道なりに進み、

ジグザグを道なり
ジグザグを道なり

「塩沢機械店」の角を左折。

塩沢機械店を左
塩沢機械店を左

「シミズ写真館」横の駐車場を右折、

シミズ写真館を右
シミズ写真館を右

「桂花園」という和菓子屋の前の通りを左に曲がって元の道筋に戻る。

和菓子屋の前を左
和菓子屋の前を左

角を曲がる度に一豊の小心さを体感できる。
その一豊にここまでキリキリ舞いさせられるとは。

さてやっと入った掛川のお城下はちょっと寂しいシャッター通りだった。
宿場としての形跡も見当たらない。

掛川宿
掛川宿

3:27PM、右手に掛川城の大手門が見えたあたりの交差点で今日の行程を終了してホテルに向かった。
明日は掛川城を始めとする観光にあてる予定。

掛川城大手門
掛川城大手門

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