御嶽~伏見~太田2018.4.29
18kmを歩き切った昨日の疲れの残る体で美濃加茂ステーションホテルをチェックアウト、JR美濃太田駅で乗車し、名鉄御嵩駅で下車。
準備運動をして9:15AMに歩き始める。
旧中山道は御嵩駅前で垂直に右折して北に向かう。
この道は道幅の広い割と新しい道だが、
5分ほど歩いて左折すると道幅は狭くなり、道筋もくねって旧道らしさが出てくる。
公民館の前で右折してまた北に向かい、東西に走る国道21号線に突き当たってそのまま左折合流する。
合流して5分足らずで右側に鬼の首塚という祠のような物が現れる。
説明版によるとこの辺りを荒らしまくった鬼の太郎という無法者を討ち取って首を都に運ぼうとしたところ急に重くなって動かせなくなったのでこの地にそのまま埋めたということだ。
そこから15分ほどで旧道は国道から右にそれる。
一本それただけで旧道風情濃厚だ。
10分足らずでまた国道に合流して可児川沿いを進む。
右側に顔戸城跡があって中世の遺構が良好に残っているとのことだが、昨日の疲れが残る娘に余計な歩みをさせる余裕は全くないのでスルーした。
河沿いを10分余り歩くと再び旧道は右にそれる。
2001年発行のガイドブック「歴史トラベルガイド 中山道の歩き方 美濃路をゆく」によるとすぐに一里塚の跡があることになっている(現物はない)のだが、何の形跡も案内もない。
そしてこの地図には載っていない高速道路が頭上を通っている。
このために消滅したのだろうか。
娘が足の裏を痛がるので休み休み進むことになった。
救いはこの先の国道沿いに娘の大好きな「すたみな太郎」という食べ放題の店があることだ。
とにかく昼をそこで食べることを目標に頑張ってもらおう。
旧道は国道に合流したかと思うとすぐにまた右にそれる。
ガイドブックではここで名鉄の線路を越えることになっているのだが廃線となったらしく、線路はおろかその痕跡さえ見つけられなかった。
ガイドブックが発行されてからの17年間で線路は消え、高速道路が新たにできたことになる。
近年のモーターリゼーションを象徴しているようだ。
坂を上って国道に合流するとそこが伏見宿だ。
本陣跡は公民館になるなど宿場の風情はほとんど感じられない。
むしろ特筆すべきは宿場中央の伏見交差点を右に曲がった所にある休憩所の立派さだ。
東屋というよりは小屋に近い。
腰掛やテーブルはもちろん、横になれるようなスペースもあるので1泊くらいならできるんじゃないか。
もちろんゆっくり休ませてもらった。
道は坂を下る。
地図では右手に木曽川が近付いているはずなのだが、その雰囲気は感じられなかった。
またこの近くの木曽川べりに新村湊跡という川湊の跡があるということだが、これも素通りした。
この先は国道の拡張で本来の道筋がわかりにくいので、大体で歩く。
そしてほぼ正午に待望のすたみな太郎に到着した。
ここで90分のランチコースを食べる。
1:40PM、歩きを再開。
坂をゆっくり下りる。
片側2~3車線の国道に街道風情など望むべくも無いが、敢えて言えば道筋のくねり具合に旧道の名残があるだろうか。
20分ほどで国道から右にそれる。
ゆるくカーブしながら徐々に木曽川に近付いてゆく。
やがて旧道は左から来る国道248号線と合流し、右にカーブして太田橋に向かう。
しかし旧中山道はそのまま直進してから右折して今渡の渡し(対岸の呼称が太田の渡し)に向かう。
右折のポイントが分からなかったので適当な路地を右に曲がって川に向かって坂を下ると小さなお寺の庭みたいなところから更に下に下りる階段があって、下り切ったところに今渡の渡し跡があった。
渡し場にしては崖がきついような気もするが、当時はどうだったのだろう。
お寺の脇を通る道を戻る。
さっき右折した路地より1本西の道で、これが旧中山道と思われる。
そして国道248号線にもどり、太田橋に向かう。
ガイドブックでは歩道がない上に交通量が多いと書かれていて渡るのが怖かったのだが、今行ってみると右側に歩道ができている。
平成20年8月竣工とある。
これは心底ありがたかった。
木曽川を渡ればゴールはすぐだ。
を渡った道路の東側が大規模な公園になっていたのでここでしばらく休憩してから河沿いに橋の下をくぐって西側に出る。
ここが今日のゴール地点の太田の渡しだ。
時に3:42PM。
太田の渡しは時代によって何度も場所を変えてきた。
ここは昭和2(1927)年に太田橋が完成するまで使われていた最期の渡し場だったらしい。
現在では川面に向かって石畳がわずかに残るのみだが、これが江戸期の物かどうかはわからない。
これで2日間の日程をどうにかこうにか予定通りに終えることができた。
中山道を歩く上での大きなヤマを超えたのではないだろうか。
娘は本当に頑張った。
ただ本人は
「もう中山道はやだ。東海道行きたい」
と言っている。