鵜沼~(三柿野駅)2020.2.23
1泊2日の岐阜旅行。
1日目の昨日は娘の希望で主に郡上八幡で食品サンプル造りに興じ、2日目の今日中山道を歩く予定。
もはや中山道を歩くためだけに娘を旅行に付き合わせることが難しくなってきたのでこのような日程となってしまった。
とはいえ空模様は安定せず、岐阜駅前のホテルから車を出すと雨が降りだしたので中山道はやめにして現在放送中の大河ドラマ『麒麟が来る』の大河ドラマ館でも見て帰ろうとそちらに向かう。
しかし会場が見つけられずに長良川沿いをウロウロしているうちに天気が回復したのでやっぱり中山道を歩くことにする。
こうして二転三転の末にスタート地点近くの鵜沼駅の有料駐車場に車を入れたのは11:30AMだった。
そこから今日のスタート地点に向かって歩き始める。
途中振り返ると建物の間から木曽川対岸に建つ犬山城が拝めた。
15分ほどで鵜沼宿に向かう旧中山道が鋭角にカーブするポイントに着いた。
ここが今日のスタート地点だが前回ここまで歩いたのは2006年の11月。
13年以上も前のことだ。
中山道の旅を始めて最初に日本橋から板橋まで歩いた次になぜか僕らは太田からここまで歩いているのだ。
当時は中山道を全部歩こうという明確な意識もなく、面白そうなところをつまみ食い的に歩くつもりだったような気がする。
当然その旅をwebに書き残そうなどという考えもなかったので写真は基本的に自分達の記念写真として撮っていた。
だから自分が写った写真ばかりになっている。
いよいよ13年の回り道の末に歩き始める。
すぐに高札場の跡を示す真新しい説明板があってこの辺りから鵜沼宿が始まることがわかる。
しかし一帯はただの住宅地という感じで宿場の雰囲気はない。
それが国道21号線を渡ると雰囲気が一変、伝統的な日本家屋や板塀が建ち並ぶ。
しかし建物自体にそこまで古びた感じはしない。
どうやらこの13年の間に鵜沼宿の再生整備が行われたらしい。
宿場全体ではなく、国道21号線以西に集中して整備を行ったのは限られた地方財政の中で現実的なやり方と言えよう。
残念ながら本陣跡は一般の民家になっていたが、脇本陣は復原されている。
この脇本陣坂井家には松尾芭蕉が3度訪れたということだ。
12:12PM、西の見附跡を通過して鵜沼宿を出る。
見所をコンパクトにまとめた好感の持てる宿場だった。
これは予期してなかった。
宿場を出ると旧道らしいくねった道筋がしばらく続く。
そして国道21号線に合流する。
すぐに左側のイタリア料理店で昼食をとる。
少々高かったが、その分うまかった。
歩きを再開する。
片側2車線の国道に街道風情など望むべくもない。
国道がJRの線路を超える陸橋の手前で側道に入るとそこに「旅人道中安全」と刻まれた石碑が唐突に現れる。
これが播隆上人の碑ということだが、特に説明もないので何の意味があるのかはわからない。
しかし倉庫のトタン板に挟まれた何とも殺風景なロケーションだ。
その後も国道を歩き続ける。
3:00PM、再び陸橋を渡る手前の側道に入ってそこにある名鉄三柿野駅で今回の歩き旅を終了した。
距離にしてわずか6km。
このところ歩くのを渋る娘も
「今回の中山道はショボかった」
とほざいていた。