高崎~板鼻~安中~(磯部駅)2007.2.11

9:30AM、街道沿いのパークイン高崎を出発。

高崎の旧道

高崎の旧道

相変わらず面白味のない市街地の道を歩き始めたが、本町3丁目の交差点を左折すると雰囲気が一変、幅3mほどのヒューマン・スケールの道が緩やかにカーブしながら烏川に向かってわずかに下って行く。

これぞ旧街道風情だ。

一旦国道に合流して烏川を渡った旧中山道はすぐに国道を右にそれる。

草津道との追分

草津道との追分

そこから10分ほどで二股の分岐に差し掛かる。

分岐点に旧い道標があり、「右くさつみち」と読める。

右は草津に至る道らしい。

もちろん左の道を進む。

茶屋本陣飯野家

茶屋本陣飯野家にて

10:45AM、現存する茶屋本陣飯野家で休憩。

茶屋本陣を出るとすぐに碓氷川沿いの国道18号線と合流する。

一里塚

一里塚

すると前方左手に枯れかけた榎がそびえる一里塚が現れる。

群馬県に現存する唯一の一里塚である。

しばらく碓氷川の土手の上を歩いてから国道に合流し、また国道を左にそれて板鼻宿に入る。

榛名道との追分

榛名道との追分

入ってすぐ右に延びる道がある。

これは榛名・草津方面に向かう榛名道で、交差点には道標が残っている。

そのすぐ先に板鼻公民館がある。

ここは板鼻本陣跡で、広大な駐車場は本陣の敷地の広さを物語る。

この本陣には14代将軍徳川家茂に降嫁する皇女和宮が宿泊した。

その時の部屋が皇女和宮資料館として公民館の奥に保存されている。

内部を見学するには予約が必要らしいので、外から見物した。

皇女和宮資料館

皇女和宮資料館

しかしその建物の外観は貧相で、失礼ながら昔の低所得者向け公共住宅のように見えてしまう。

和宮は板鼻で初潮を迎え、その時の穢れ物を埋めた場所に建てられた祠は妊娠を恐れる板鼻の飯盛女たちの崇拝を集めたそうだ。

さて見渡したところこの辺りで鉄筋コンクリートの建物はこの公民館くらいだ。

その公民館だって別に新しいわけではない。

何かこの旧宿場町は全てが時代から取り残されて古びて見える。

小渕優子

小渕優子のポスター

街角の選挙ポスターの小渕優子さえ過去の人に見えてしまう。

碓氷川の渡し場跡

碓氷川の渡し場跡

宿場を出るとすぐに碓氷川に突き当たる。

かつての渡し場跡が残っている。

今は鷹の巣橋で渡る。

妙義山

妙義山

この頃から前方に奇妙な形の山影が見えてくる。

先端がギザギザを描く妙義山だ。

左に大きくカーブする碓氷川の角を削るようにもう一度橋を渡って安中宿に入る。

大名小路

大名小路

今は郵便局になっている本陣跡などを見た後、街道から1本北の大名小路を散策する。

足軽長屋

足軽長屋

足軽長屋や郡奉行役宅が復元されている。

安中原市の杉並木の碑

安中原市の杉並木の碑

安中宿を出ると「天然記念物安中原市ノ杉並木」という立派な石柱が現れるのだが、肝心の杉はほとんど枯れてしまってかなり寂しい状態だった。

妙義山に向かう中山道

妙義山に向かう中山道

そこを過ぎると街道は緩やかにカーブしながら妙義山に向かってゆっくりと高度を上げる。

中山道

生活感あふれる中山道

道の両側には生活感にあふれる店舗が軒を連ねる。

時刻は3:56PM、旧街道には僕ら夫婦の長い影。

この頃には僕らはもうすっかり中山道の虜だ。

立場茶屋

立場茶屋

街道の休憩所である立場茶屋の前を過ぎてから街道を左に離れ、磯部温泉駅に向かった。

きのう新町を歩き始めてから高崎までは見所の乏しい道のりだったが、今朝本町3丁目の交差点を左折してからは歴史を感じさせる街道の景色に魅了されっぱなしだった。

磯部温泉駅にて

磯部温泉駅にて

磯部温泉駅のホームで妙義山との再会を誓った。


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