(自宅)~粕壁~杉戸2021.11.27

10:00AM、自宅リビングで準備運動をする。
今日は自宅から徒歩で街道ウォークのスタート地点まで行くのだ。
準備運動を終えて自宅を出、200mほど歩いて現在の国道4号線である日光道中まで移動して今日の街道ウォークを始める。

東京都墨田区から春日部市に引っ越して来て以来、通勤以外の移動はほぼ車なので、このあたりはいつも自動車で通っている。
正直何の変哲もない国道だ。

自宅近くの国道4号線

それでも歩いていて発見がないわけではない。
それはお寺が多いっことと、敷地の中に鳥居や祠を持つ民家が多いことだ。
車で通過するだけではなかなか気が付かない。

鳥居と祠を持つ民家

10:32AM、備後の一里塚跡に到着。
春日部市に入って最初の一里塚だが、なかなか立派な石柱が建っている。
もちろん現物は消失している。

備後の一里塚跡

ちなみになぜこのあたりの地名が備後なのかと言うと、それには伝説めいた物語がある。
時は建暦元年(1211)、利根川(現在の古利根川)の中州で見つかった観音像を見た旅の僧が語り始めた。
「これは備後国にあった観音像じゃ。
戦乱で人々は像を舟に積み込んで東国へのがれようとした。
途中嵐で船団が次々に沈んで行く中、像を載せた舟だけは沈まなかった。
人々が拝もうとするとその像はどこかへ飛んで行った。
これはその像に違いない!」
なるほど、それならこのあたりにお寺が多いことも説明できるかも知れない。
真偽は定かでないが、今も古利根川は街道の右手を流れている。

古利根川

11:12AM、八坂神社の前で歩いて来た道が前方フォーク状に3本に分かれる。
左が日光道中粕壁宿。
真ん中(直進)は国道4号線。
右は東八幡神社への参道だ。
これからその参道へ進んで東八幡神社に寄り道する。

東八幡神社参道

東八幡神社は新田義貞の鎌倉攻めに功のあった春日部時賢ときかたが鎌倉の鶴岡八幡宮を勧請したもの。
この春日部氏が春日部の地名の由来と思われる。
境内にはご神木である樹齢600年の大ケヤキが鎮座する。

東八幡神社

また明治期に近辺の神社を集めて統合したらしく、小規模な鳥居と祠のセットがいくつも見られた。


さっきの枝分かれ地点に戻る。
左の日光道中へ進むとそこが粕壁宿の始まりだ。

粕壁宿に入る

春日部氏を由来とする「春日部」の地名はなぜか戦国時代から「糟ヶ邊」「糟壁」と表記が揺らぎ始め、江戸時代には「粕壁」が定着する。
「春日部」の表記が復活するのはなんと敗戦間近の昭和19年(1944)のことだ。
「粕壁」は今でも旧い町名に残っている。


現在の粕壁宿は電線は地中に埋められ、歩道は拡幅されて景観がすっきりとしていると共に大変歩きやすい。
その分宿場風情はほとんど感じられない。
建物はどれも比較的新しいがほとんどが病院と金融機関と美容院だ。
そんな中、 シャッターの下りた廃墟のような2階建てビルの2階に「エーワンミュージック」というレコード店があるのを見つけた。
レコードは大好きなので寄ってみた。
しかしここでLPレコードを買ってしまうとこの先歩くのに大変邪魔なので、「麗蘭91-02 轍」というDVDを購入した。

エーワンミュージック

レコード店から一つ先の路地を左に入ったところにある喫茶店で昼食をとる。
店内にはレトロな雑貨と共にレコードや蓄音器が飾ってある。
店の名前は「イートワン」。
さっきの「エーワンミュージック」と関係あるのだろうか?
いずれにせよコストパフォーマンスのとても良い店だった。

喫茶店「イートワン」

1:25PM、歩きを再開する。
入ろうか迷って結局入らなかったカレー屋の前が本陣跡だった。

本陣跡

その先に粕壁宿では数少ない旧い建物、田村荒物店がある。
往時は宿場の実力者であったことがうかがえる豪壮な蔵も建っている。
店舗の前の道標は日光、江戸、岩槻を指しているそうだが読み取れなかった。

田村荒物店

宿場の最後には定番の高札場跡と、国の登録有形文化財でもあるという浜島家の土蔵がある。

高札場跡と浜島家住宅土蔵

街道はそこで右折するのだが、ここは直進して突き当たりの最勝院というお寺に寄る。
ここには「春日部」の地名の由来となった春日部重行の「墳塚」がある。
また3代将軍家光の亡骸を日光東照宮に移葬する際、ここに仮安置されたそうだ。

最勝院

日光道中に戻る。
街道は粕壁宿を出ると同時に右折して新町橋で古利根川を渡る。
上流側に上喜蔵河岸があったということなので橋を渡りながらその名残を探してみたが、それらしい物は見つけられなかった。
ただ古隅田川が分かれているのはわかった。

古利根川と古隅田川

古利根川を渡った街道はすぐに左に枝分かれする。
そしてそこから10分足らずで小渕の一里塚跡に到着する。

小渕の一里塚跡

さらにそのすぐ先のY字路に道標が二つ並んでいる。
どちらもほとんど読み取れないが、要するに左が日光道中で、右が関宿へ行く道ということらしい。

左が日光道中、右は関宿への道

もちろん左に進む。
するとすぐに国道4号線と合流し、それと同時に首都圏の大動脈である国道16号線を渡る。

国道16号線を渡る

郊外の国道を歩いていると左側に唐突に古びた寺の山門が現れた。
威厳をたたえたまま朽ちて行くその姿はどこか古武士を思わせる。
これは小渕山観音院の仁王門だ。

観音院の仁王門

境内に入ると芭蕉の句碑がある。

のいえば唇寒し秋の風

芭蕉は『奥の細道』の旅でこの寺に泊まった可能性があるそうだ。
その雰囲気は十分にある。
また、それほど頻繁に掃除をしていないお陰で境内いっぱいに銀杏の落ち葉が敷き詰められているのも味わいがある。

観音院境内の句碑

境内を一回りして仁王門を出てから振り返ると、強い北風にのぼりがあおられ、黄葉がはらはらと舞い乱れる。
一種凄絶な美しささえあった。
春日部にこんな見ごたえのあるお寺があるとは思わなかった。
意表を突かれた思いだ。


国道4号線を進んで2:58PMに杉戸町に入る。

杉戸町に入る

15分ほどで国道から左に分岐して道幅やくねり方に多少は旧街道らしさが見られるような道になる。

杉戸の旧道

途中、九品寺という寺に天明4年(1784)に建てられた道標がある。
「左日光」「右江戸」とある。

九品寺の道標

その先で一旦国道4号線と合流した日光道中は堤根でまた左に分岐する。
すると街道右手の民家の生け垣の中に説明板があって、そこが三本木の一里塚跡だったことがわかる。
今日三つ目の一里塚だ。

三本木の一里塚跡

江戸時代から続く造り酒屋が2軒続き、

関口酒造(旧豊島屋)
伏見屋

そのすぐ先に復元された高札場も現れて杉戸宿に入ったことを知る。

高札場跡

夕暮れの杉戸宿を歩く。
静かな商店街といった感じ。

杉戸宿

街道右手の三井信託銀行がかつての問屋場跡で、明治天皇が休憩したという石碑が建っている。
この交差点が今日の街道ウォークのゴール地点だ。
左折して東武動物公園駅から自宅に向かった。

問屋場跡

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