杉戸~幸手~栗橋2021.12.18
9:22AM、東武動物公園駅から伸びる道が日光道中と交差する地点で今日の街道ウォークをスタートする。
杉戸宿に旧い建物はほぼ見当たらない。
櫛の歯が欠けるように家屋が無くなった空き地が所々にあり、その間口に較べてやたらと奥行きの深い土地の形が宿場の名残と言えなくもない。
わずかに宿場の出口の曲がり角にかつては米穀店を営んでいた角穀屋跡の母屋と蔵が往時の景観をとどめている。
その先で日光道中は国道4号線と合流する。
殺風景な国道を歩くわけだが、救いは右手には筑波山、左手には富士山が見えることだ。
10:15AM、街道左手の山田うどんの駐車場に茨島一里塚の説明板が建っているのを見つける。
勿論現物は消失している。
そこから10分ほどで幸手市に入る。
さらに10分ほどで日光道中は国道4号線から左にそれる。
東武鉄道の踏切を渡ると畑の中の1本道となって東京外環道のガードをくぐる。
その道がTAIRAYAというスーパーの前で、左から右に伸びる道と突き当たる。
このT字路は日光道中と日光御成道との合流点だ。
日光御成道とは徳川の歴代将軍が家康を祀る日光東照宮を参詣する際に使用した道で、川口、鳩ケ谷、岩槻を経てここで日光道中と合流する。
日光御成道と合流した日光道中を進むとすぐに「神宮寺」というお寺だか神社だかわからない名前の寺がある。
ここには源頼朝にまつわる伝説がある。
逃げ出した鷹を追って当地にやって来た頼朝一行がこの寺の境内の大樹にとまっているその鷹を見つけた。
そこでこの寺秘蔵の薬師如来に祈願したところ鷹自ら下りて来て頼朝の肩にとまったそうだ。
「幸手駅入口」という交差点で日光道中を右にそれて「たむらや」というレストランで昼食をとる。
12:43PMに歩きを再開する。
いつの間にか幸手宿に入っていたらしいが、それらしい雰囲気はまるで感じられない。
むしろ宿場の出口の道筋の折れ曲がりが桝形の名残を感じさせる。
またここに一里塚があったらしく、それを示す石碑が路傍に建っている。
幸手宿を出た日光道中は国道4号線と合流し、中川を超えるとすぐに左にそれて国道と並行する。
小さく蛇行しながら細かくアップダウンを繰り返す幅3mほどの道筋には多少の街道風情が感じられる。
やがてその道が二股に分かれる。
左が日光道中、右は筑波に向かう筑波道だ。
分かれ目には道標が建っている。
やがて日光道中は国道4号線の法面にそって進んでゆく。
さすがにこうなると街道風情は感じにくい。
そして久喜市に入る。
2:12PM、小右衛門の一里塚に到着。
今日3つ目の一里塚だ。
1日に3つ以上の一里塚を通過するのは2018年4月28日の中山道以来だ(この時は4つ通過)。
この小右衛門の一里塚は西塚のみが背後の墓地と一体化したような格好で辛うじて現存している。
その後も国道4号線の法面沿いの道を歩く。
東北新幹線のガードをくぐって200mほどで一旦国道と合流してまたすぐに左に分岐する。
その分岐点に「ライブシアター栗橋」という大きな看板を掲げた劇場がある。
近付いて壁に貼ってある演目を見るとストリップ劇場らしい。
内部の音楽と手拍子がここまで聞こえてくる。
盛り上がっているようだ。
分岐した日光道中は500mほどでさらに左に分岐する。
ここには往時、名物栗餅を商う茶屋が8軒も軒を連ねていたそうだが、現在では民家が建ち並ぶのみだ。
20分ほど歩くと畑の中の1本道から寺や旧い家屋が点在するロケーションに変化する。
栗橋宿に入ったのかも知れないが、何の案内もなくはっきりしない。
「栗橋宿」と書いたのぼりがあったりするが、宿場の外にそういった物を掲げていたりすることもよくあるのでアテにはならない。
ともかく、栗橋駅入口の交差点で今日の街道歩きを終わりにして栗橋駅に向かった。