(横川駅)~坂本~軽井沢 2007.7.7
横川駅前でいつもより念入りに準備運動をする。
今日は中山道最大の難所、碓氷峠を超えるのだ。
2007年7月7日、7が三つ並ぶ縁起の良さそうな日だが空模様は生憎の曇り空。
軽井沢に着くまでもってくれることを祈るのみだ。
鉄道文化村の脇を通って前回のゴール地点、旧道と国道18号線が立体交差する地点を出発したのが8:59AM。
まずは坂本宿に向かって歩き始める。
いつの間にか妙義山は左後方になっていた。
上州路を大いに楽しませてくれたその奇怪な山影ともそろそろお別れらしい。
上信越自動車道のガードをくぐって坂本に着いたのが9:18AM。
直線道路の両側に屋号を記した看板を吊るした民家が建ち並ぶ。
その向こうにこれから登ることになる刎石山の、妙義山とは対照的なこんもりした姿。
宿場の西の端あたりで振り返ればその妙義山の山すそがけぶって見える。
中山道と一体化していた国道は坂本宿を出ると貯水場のタンクの手前で右に大きくカーブする。
中山道はここで国道と別れ、真っすぐに雑草の生い茂る道を進む。
日本橋を出発してから初めての非舗装道だ。
しかしそんな風情を感じる余裕もなく、そのまま背丈を超える藪の中に突っ込んで行く。
僕らが頼りにしているガイドブック「中山道の歩き方」児玉幸太[監修](学習研究社)によるとこのあたりに鉄はしごがあってそれを登って山腹に出るらしいのだが、それが見当たらない。
行く手は藪に阻まれてこれ以上は進めない。
仕方なく全身を藪にこすられながら背丈ほどの崖をよじ登って、平らな場所に出た。
脚にチクリとした痛みを感じたのでズボンをまくるとヒルが何匹もくっ付いていた。
慌ててひきはがす。
血が流れている。
シャツをめくるとお腹にも付いていた。
また、後で気が付いたことだが、この時に愛用のサングラスを落としたらしい。
もし気づいてたとしても、とても取りに戻る気にはなれなかっただろう。
道らしい草の踏み跡を辿るとさっき別れた国道に突き当たり、その向こう側に峠道の登り口があった。
リュックにぶら下げてた熊除け鈴のミュートを外す。
いよいよ本格的な峠越えだ。
いきなりの急坂を息を切らしながら上る。
午前10時台だというのに薄暗く、周りは杉木立が続くばかりで人間社会とは隔絶した空間に迷い込んだかのようだ。
そしたら道からやや離れた場所に東屋が見えたので一休みしようとした瞬間、そこに男がいるのに気が付いた。
こちらに背を向けて新聞を読んでいる。
こんな所で新聞を読む姿にただならぬ気配を感じて慌ててその場を離れた。
もしあの男が間道を伝って先回りして突然目の前に現れたら!
想像しただけで身の毛もよだつ恐怖だ。
山道で本当に恐ろしいのはヒルでも熊でもない、人間だ。
登り口から25分ほどで刎石坂に差し掛かった。
大日尊や馬頭観世音などがある。
往時の人々の旅の無事を祈願する気持ちの表れだろう。
さっき恐ろしい目に会ったばかりなのでその気持ちが良くわかる。
そこから5分ほどで「覗」という場所に出る。
ここは坂本宿が良く見渡せる場所ということでとても楽しみにして来たのだが、今日は生憎の天気のせいでほとんど何も見えなかった。
路傍にはいくつもの説明板が置かれている。
しかし今はそれを読む余裕もなく、ただ文面を写真に収めるだけで肝心の説明されている物はろくに見もせずに通り過ぎてしまった。
11:24AM、「掘り切り」という場所に出る。
これは秀吉の小田原攻めに備えて松井田城主大道寺駿河守が整備した防御施設で、道の両側が削り取られている。
この細い道で縦列にならざるを得ない秀吉軍を叩いて足止めさせる算段だったらしいが、想定を遥かに超える大軍の襲来に碓氷峠を放棄して松井田城での籠城に切り替えた。
現代の峠道には色んな物が転がっている。
倒木を超えたかと思うと、
その先には自動車が打ち捨てられてスクラップになっている。
なぜここに自動車があるのかは謎だが、この車をここから運び出すことも難しそうなので、この先100年単位でここにあるままなのだろう。
そこから1時間ほど歩く。
すると陣馬が原という、上杉と武田が戦った碓氷峠の戦いの古戦場に着いた。
ここまで来るだけでも大変なのにその上で合戦とは、戦国時代とはいえ難儀なことだ。
そしてここは和宮降嫁のため幕末に開設された“和宮道”との分岐点でもある。
左に分岐する道が中山道だ。
わずかに下る道を15分ほど行くと沢が流れているのでこれを飛び石伝いに渡る。
するとそこから綴れ折れの上り坂が延々と続く。
地図を見ると峠まであとわずかな距離なのに等高線が詰まっているせいか歩いても歩いても進んでいる感じがしない。
もう前を向く気力もなく足元を見ながら歩き続ける。
霧のような雨が降ってきて、辺りは一層薄暗く、視界も奪われる。
写真を撮ってもデジカメがその雨にピントを合わせてしまってまともな写真が撮れない。
異界をさ迷っているような恐怖を抱きながら歩いていると不意に前方の高い位置から車のヘッドライトが光ってカーブして行った。
あそこを車道が通っているらしい。
懐かしの文明社会だ。
間もなくその舗装道路に合流して神社と茶屋が数軒建つ集落に出る。
ここが碓氷峠だ。
1:20PM、熊野神社の境内で昼飯を食べた。
食べてるうちに7月だというのに寒くなってきて上着を羽織った。
しげのやという茶屋で力餅を食べてから再出発したのが2:14PM。
群馬と長野の県境をまたいで長野に入り、有料駐車場の脇から伸びる土の道を下って行く。
森の中のあまりはっきりしない道を辿ると沢に突き当たる。
その沢を飛び石伝いに渡り、対岸の法面をよじ登って舗装道路に出た。
2:53PM、とりあえずサバイバルは終了だ。
軽井沢に向かって歩き始める。
20分ほどすると前方にリゾートファッションに身を包んだ人たちが見えて来る。
そしてほどなく江戸時代初期の開業だというつるや旅館の前を通り軽井沢宿に入る。
しかし宿場の面影はその旅館の他には何も見当たらない。
ここは日本屈指の避暑地、名にしおう軽井沢なのだ。
現在の旧軽井沢銀座がかつての軽井沢宿。
原宿の竹下通りを持って来たような若者向けのおしゃれな店が建ち並び、おしゃれな人たちが行き交う。
さっきまで暗い森の中でヒルや坂や雨と格闘しながらのサバイバルに大わらわだった身には全く異質の世界だ。
ヒルにかまれて血まみれの脚を引きずりながら予約のペンションに向かった。