軽井沢~沓掛~追分~(御代田駅) 2007.7.8
9:49AM、昨日の疲れの残る脚で歩き始める。
ここは軽井沢。
旧中山道は避暑地の幹線道路だ。
30分ほどで瀟洒なホテルの向こうにこんもりした山が見えて来る。
これは離山という山で、和宮降嫁の際は縁起が悪いとして子持山と呼んでいた。
軽井沢町民族資料館を休憩がてら見学してから10:42AMに再出発する。
別荘が点在する道をしばらく歩くと湯川という川に突き当たる辺りで旧中山道は消失しているので、平成17年竣工の橋を渡って沓掛宿に入った。
入ったものの宿場の面影は全く無い。
沓掛という地名さえ抹消されて駅の名前も「中軽井沢」だ。
避暑地リゾートとしての軽井沢ブランドにあやかろうとした残念な改名だと言わざるを得ない。
しかし街並みは余りにも殺風景で、あやかれているのかも疑わしい。
見所の乏しかった沓掛宿を出ると旧道は静かな住宅街の中を通る。
かまめしのおぎのやで名物の峠のかまめしを食べた。
パサパサして正直あまりうまいとは思えなかった。
名物とはこんなものなのだろう。
再スタートは1:24PM。
すぐに追分の一里塚があり、追分宿に入る。
旧い建物が点在し、団体の観光客の姿も目立ったのだがなぜかあまり魅力を感じずにあっさりと通り過ぎてしまった。
そして宿場を出てすぐに行き当たるのが北国街道との分岐点である「分去れ」だ。
行く手が二股に分かれ、三角地帯には道標、石仏、石灯籠が建ち並んでいる。
右は善光寺に至る北国街道、左が僕らが歩く中山道だ。
もちろん左を行く。
するとすぐに中山道69次資料館の前に着く。
ここは元教員の館長が個人で集めた中山道の資料を展示しているのだが、最高なのはその庭だ。
日本橋や碓氷峠といった中山道の有名スポットを再現して歩けるようになっている。
楽しいいたずらだ。
展示室で館長さんの説明を聞き、著書を買い、玄関の前で記念写真を撮ってもらってから慌ただしく出発した。
帰りの新幹線の時間が迫っている。
そこから40分ほど速足で歩き、最後はダッシュで御代田駅に入って来た列車に飛び乗った。
さて無事自宅に帰り、たまっていた新聞に目を通す。
何気なく見た死亡記事に「児玉幸多」の名前を見つける。
学習院大学名誉教授。
どこかで聞いた名前だ。
そうだ、僕らが使っている中山道のガイドブックの監修者だ。
僕ら夫婦が中山道を全部歩いてみようなんてことを考えるようになったのもこの本との出会いがあったからこそだ。
大げさにい言えば僕らの人生を変えた本を出してくれた恩人である。
亡くなったのは7月7日。
僕らが碓氷峠を超えた日だ。
何かの因縁だろうか?