(御代田駅)~小田井~岩村田~塩名田~八幡~望月2007.10.12
2007年10月14日
9:12AM、御代田駅前で準備運動をして出発。
空は晴れているが、右前方の浅間山付近には雲が流れて山頂が見えたり見えなかったりだ。
今回はこの浅間山を見ながらの旅になるものと思われる。
すぐに小田井宿に入る。
旧い建物がいくつも残る、静かな静かな宿場だ。
土蔵の白漆喰が秋の日差しに映えて美しい。
宿場を出るとすぐに「咬月ヶ原」と名付けられた小さな公園のような空間が右手に現れる。
この地名は伝説に由来する。
6世紀、用明天皇(聖徳太子の父)の時代、この地に流されて来た咬月という名の官女が歩いていると白馬が現れて彼女を乗せ、空を駆け回ったという。
幻想的な伝説の地も今では中古車販売店隣の空き地といった感じだ。
岩村田宿の入り口あたりで武田信玄ゆかりの龍雲寺に立ち寄る。
ここはいくつか存在する信玄火葬地、埋葬地の伝承地の一つで、信玄廟と遺骨遺品とされる物が出土している。
その真贋は知る由もないが、この寺の山門は見事である。
城郭のような威厳をたたえている。
11:04AM、岩村田宿を歩く。
歩道を覆うアーケードが寂しさを増幅する寂れた商店街だ。
できればここで昼食にしようかと考えていたのだが、飲食店の類は何もなかった。
碓氷峠以来概ね北から南に向かっていた中山道は岩村田宿の途中で直角に折れ曲がって西に向かう。
岩村田宿を出ると沿道には広々とした田園風景が広がる。
黄金色の稲穂の中の一本道を気分良く歩いていると、突然中部横断自動車道の工事現場に行く手をふさがれる。
ここに高速道路が通ったらこの広々とした景観は永遠に失われるだろう。
この道路が地元の方たちの為になることを願わずにはいられない。
是非もなく迂回路を進んだ。
再び旧道を進む。
岩村田で食べそこなった昼食のため、旧道の約500m北を並行する県道沿いのコンビニまで行っておにぎりを買い、また旧道に戻る。
そしてそのおにぎりを塩名田宿手前の駒形神社の境内で食す。
1:24PMに再出発。
道は下り坂を塩名田に向かう。
1:42PM、塩名田宿に入る。
千曲川の川越えのために設置されたこの宿場も往時を偲ばせる物は少ない。
そんな中で問屋本陣は宿場時代の面影をとどめている。
その先の旧道は千曲川に向かって一気に高度を下げる。
かつて船宿が建ち並んでいた頃をほうふつとさせるような家並みが続く。
いい雰囲気だ。
河原に下りてみる。
北のエメラルドグリーンの山影が独特の澄んだ空気感を醸し出している。
明治時代に舟橋を繋いだという船繋ぎ石が河原に無造作に転がっていた。
中津橋で千曲川を難なく渡るとすぐに大日如来像が街道右手に現れる。
白い頭巾と前掛けを着けた如来像の背後には五郎兵衛新田という美田が広がり、その彼方には浅間山という素晴らしいロケーションだ。
2:41PM、八幡神社の前を過ぎる。
そしてほどなくその神社から名前を取った八幡宿に入る。
この宿場も見所は少ない。
わずかに本陣の門が朽ちかけた姿を残すのみである。
八幡宿を出ると旧道は一層細くなって、ゆるい上り坂になる。
沿道の家並みの雰囲気ともども峠越えが近いことを思わせる。
そして舗装道路がなくなっていよいよ本日のメインイベント、瓜生坂超えが始まる。
ただし本来の中山道は国道やバイパスの開設でズタズタにされているらしい。
それで迂回路を辿りながら旧道に戻って瓜生坂一里塚の前に出る。
そしてそこから5分ほどで「中山道瓜生坂」と書かれた石碑が建つ瓜生坂の頂上に着いた。
そこから鬱蒼とした樹木が頭上まで覆う草の道を下ると視界が開け、見えて来るのが望月の町並みだ。
そして街道はジグザグに曲がりながら鹿曲川まで一気に高度を下げる。
橋を渡り、ヘアピンカーブのような桝形を過ぎると望月宿に入る。
陽の傾いた宿場を歩き、大正5年築の建物で営業を続ける井出野屋旅館に投宿した。