望月~芦田~長久保2007.10.13
朝、2階の部屋の窓から外を見る。
街道をはさんだ向かいに江戸時代からの旅籠である山城屋旅館が見える。
実はそっちに泊まりたかったのだが、生憎団体客で埋まっていたのでこの井出野屋旅館に泊まったのだ。
朝食前に旅館の中をうろついてみる。
大正5年築の建物だが内部は永年磨きこまれて見事なツヤを見せている。
木造建築ならではの陰影に富んだ雰囲気。
映画『犬神家の一族』のロケに使われたというのも納得だ。
ここに泊まれて良かった。
9:09AM、望月宿を歩き始める。
すぐに江戸中期の建物が残る問屋兼旅籠の大和屋の前に着く。
ガイドブックには見学自由となっていたが、ゆうべ井出野屋のおかみさんに聞いたら今は見せてないとのことだった。
確かに雨戸はきつく閉ざされて、公開している様子はなかった。
望月宿を出ると街道は急坂を上る。
その途中からはのどかな田園風景が見渡せる。
樹木が頭上を覆うトンネルのような坂を上りきると、今度は坂を下って間の宿茂田井が見えて来る。
ここは集落内の街道が狭過ぎるため国道が南を迂回したお陰で開発から取り残され、結果的に旧い街並みが保存されている。
2軒の蔵元を中心に白壁の土塀と土蔵が続く落ち着いた街並だ。
思えば僕の故郷・高知県佐川町も酒造の町で、こういう街並があったと記憶する。
上京24年、今はどうなっているのだろう。
茂田井を出た中山道は一旦坂を上ってすぐにまた下る。
するとそこは広々とした田園地帯で、平地に立ったまま遥か遠くまでが見渡せる。
気分がせいせいする。
かつて寝台特急北斗星で北海道に行った時に「日本に北海道があって良かった」と思ったものだが、今はさしずめ「日本に長野県があって良かった」という気分だ。
10:47AM、芦田宿に入る。
失礼ながらこの小さな町には不釣り合いに思えるほど立派な町役場を左に見ながら、本陣を目指す。
芦田宿本陣は現存する本陣としては珍しく内部公開していると聞いていたので立派な門をくぐって敷地に入った。
するとお掃除のスタッフ(ボランティア?)に指図していたご婦人が僕らに気付いて歩み寄って来た。
そこで僕らは思いもかけず本陣のおかみさんの嘆きを聞くことになった。
彼女によるとこの建物の維持は本当に大変らしい。
修理をしたくても長野県宝に指定されているので現状の変更は許されず、旧来の伝統工法しか認められない。
それで塀の修理を見積もってもらうと1000万だった。
補助金は出ない。
「もし床が抜けて見学の人がケガでもしたら補償はどうなりますか?」と行政に尋ねたところ「それはお宅の責任になります」という答えだった。
「それで、今は中を見せてないんです」
納得するしかない。
「これは本当に大変なんです」と建物を見上げるご婦人。
まるで本陣に呪われたかのような後半生だ。
僕らが宿場宿場で「わーい本陣だ」と無邪気に見物している陰ではこのような方たちの人知れぬご苦労があったのだ。
行政は何をしているのだろう。
立派な町役場が建つ一方で貴重な歴史的建造物は朽ちて行くしかないのだろうか。
さて芦田宿を出た中山道は笠取峠に向かってゆっくりと坂を上り始める。
振り返ると浅間山がきれいに見えている。
12:01PM、笠取峠の松並木が街道右手に始まり、やがて両側に続くようになる。
左側を並行する国道の車の音が多少気になるものの景観はほぼ江戸時代のままだ。
松並木の途中にあるベンチで昼食をとって1:45PMに再出発する。
旧中山道は国道と合流していよいよ高度を上げる。
このあたりの国道は車道を通すために従来の場所よりも10m以上も掘り下げられている。
そのせいで笠取峠一里塚は随分と高い所にあった。
1:15PM、笠取峠に着いた。
かつては見晴らしのいい名所だったらしいが、今はコンクリートの壁とアスファルトの路面が見えるだけだ。
そのコンクリートの法面をよじ登ってみると道らしき踏み跡に馬頭観世音が建っていてここが街道であったことがかろうじて偲ばれる。
下りで旧中山道は国道から逸れ、蛇行する車道を突っ切るように真っすぐ下る。
鬱蒼とした林の中を通る草の道だ。
その道を歩いて突き当たる国道を横断し、ガードレールの切れ目からまた草の道に入るということを何度か繰り返す。
最後の方は道跡が明瞭でなくなって木立の間を適当に見当をつけながら歩くことになる。
すると右手に石垣が現れて一応ここが街道沿いであったらしいことがわかる。
さらにその先は道跡が消滅して藪をこぎながら下を目指して何とか舗装道路に出た。
ズボンには植物の種子がびっしり付いていた。
その種子を取って最後のガードレール脇の道を下るとなんと松尾神社の庭に下り立つ。
神社を横切って参道の小橋を渡り、舗装道路と合流して坂を下れば長久保宿に入る。
宿場の背後には山が迫って来ており、いよいよ山深い里にやって来たことが実感される。
右手に真田信繁(幸村)の娘が嫁いでいたことでも知られる本陣石合家が美しい白漆喰の塀と立派な門を見せている。
格子戸と卯建が往時を偲ばせる釜鳴屋も雰囲気のある建物だ。
他にも旧家屋を改装した休憩所などがあったが、とても休むような気分ではない。
実は帰りのバスの時間が迫っているのだ。
そのバスに乗らないと予約の新幹線に間に合わない。
T字路で左折する旧中山道と別れ、右折してバス乗り場に向かった。
するとちょうどやって来たバスに乗ることができた。
次回は中山道でも最大級の難所、和田峠超えに挑むことになる。
もっと脚力を鍛えないと踏破は覚束ない。
女房は笠取峠で膝の痛みを訴えていた。
和田峠越えには何としても万全のコンディションで臨みたいと決意を新たにして上田に向かう車中で爆睡した。