(唐沢バス停)~下諏訪2008.4.27

目を覚ますなり格子の窓から表を見てみる。
もやってはいるが雨は降っていない。

2階の窓から街道を望む

2階の窓から街道を望む

旅館・本亭の前で宿のご主人に夫婦の写真を撮ってもらい、バスに乗り込む。
唐沢バス停に着いたのが8:13AM。
昨日、土砂降りの雨の中たどり着いた屋根付きのこのバス停に、今日はなぜか懐かしささえ感じる。
依然として霧がかかって空は見えないが、その霧を通した弱い日差しが小屋のようなバス停の白い壁に照射して格子模様を作っている。

唐沢バス停

唐沢バス停

 

8:15AM、いよいよ和田峠に向かって歩き始める。
すぐに昨日僕らが歩く旧中山道から分岐したもっと古い中山道が合流して来る。
石段を上ってその道を少し江戸方面に戻ると両塚残る唐沢一里塚が現れる。
中山道の路線が変更した後、一里塚だけが山中に取り残されて今に至る。

唐沢一里塚

唐沢一里塚

 

元の道に戻ると霧が晴れて青空が見えてきた。

晴れてきた

晴れてきた

間違いない、今日は晴れだ!
そう確信した途端気分が盛り上がって口から鼻歌がもれて来る。
「♪わっかーれのあっさーがきたー」
その歌がなぜ桑田佳祐「ダーリン」だったのかは自分でも謎だ。

依田川沿いの歩道のない国道を15分ほど歩いて峠道の登り口に着く。

和田峠の登り口

和田峠の登り口

ここから山道が始まる。
葉の落ちた林の道を歩き始める。

坂道を上る

坂道を上る

左手のがけ下には和田川が流れる。
碓氷峠に比べると傾斜はそれほど急ではなく、歩きやすい。

 

9:12AM、国道に合流したあたりに藁葺きの小屋が現れる。
これは江戸の豪商が旅人の為にした寄付で建てられた接待茶屋だ。

接待茶屋

接待茶屋

僕らも一休みしてから再出発した。

 

再び国道から離れて山道を行く。
苔むした石畳の道を歩く。

石畳の道

石畳の道

 

 

広原一里塚

広原一里塚

9:54AM、広原一里塚に着く。
児玉先生のガイドブックでは東餅屋一里塚となっている。
そこから10分ほどでまた国道に合流する。
そこはかつて5軒の茶屋が並んで餅を売っていたという東餅屋の跡地だ。
現在は1軒のドライブインがあるだけで、あとは石垣が往時の面影を残すのみだ。

東餅屋

東餅屋

そのドライブインに入ってみた。
餅を食べながら店主の話を聞いた。
それによるとこの店は一旦閉じていたのだが、中山道を歩く人から役所に「休憩する所もないのか」というクレームがあり、それで役所から頼まれて営業を再開したそうだ。
街道を歩く人の中にもうるさい人はいるらしい。

昨日もツアーの団体客が歩いて来た。
みんなあの雨と寒さの中でブルブル震えていて、店主も
「かわいそうになっちゃいましたよ」
と語っていた。
僕らも峠越えが一日ずれていたら“かわいそうな”ことになっていた。
本当に天気だけは運まかせだ。

 

山道をひたすら歩く

山道をひたすら歩く

その後は山道をひたすら歩く。
高度を上げるに従って道端には残雪が見られるようになる。

道端の残雪

道端の残雪

 

その頃から勾配が急になってくる。
そして街道の先が青空につながってそこに峠があることをうかがわせる。

街道の先に青空が

街道の先に青空が

10:39AM、和田峠に到着。

足の短い枯れ草が地面を覆う荒涼とした雰囲気の小さな平面だ。

和田峠

和田峠

風がびゅーびゅーと吹き抜ける。
眼下遥かには山並みの向こうに集落が見える。

和田峠の眺望

和田峠の眺望

そちらに向かって何か叫んでみよう。
何か気のきいたことを言ってみたい。
自分はアマチュアとはいえシンガーソングライターだ。
月並みな言葉など吐くわけにはいかない。
己の才能を信じて心のままを口にした。
「やっほー」
ディレイタイムやや長めのこだまが返って来た。

10分ほど休んでから峠を下り始める。

下り坂

下り坂

上りの時よりかなり急な下り坂がしばらく続く。
ゴツゴツした石が転がる「賽の河原」と呼ばれる坂道がヘアピン状にうねりながら下って行く。

賽の河原

賽の河原

やや勾配が緩くなり、石垣の一部だけが残る石小屋跡を過ぎた頃に下諏訪側から上って来たご婦人と会った。

石小屋跡

石小屋跡

この方も夫婦で歩いているのだが、旦那さんが遅れてしまったのでここで待っているとのことだった。
すると旦那さんが息を切らせて追いついて来た。
「峠まであとどのくらいですか?」
と聞かれたので
「もういくらもないです」と答えた後、
「最後にかなりきつい坂がありますよ」
と教えてあげたのは、親切心と意地悪が半々だったことを白状しておこう。

さらに坂を下ると道がV字状の溝のようになってくる。
しまいにはその溝を水が流れるようになる。
石小屋跡
これは少々歩きにくい。

さらに進むと今度は街道に空き缶やペットボトルが転がっていた。
何とも残念な光景だが、僕としてはこれは街道ウォーカーの仕業ではなく、この上の国道を走る車の運転手が投げ捨てた物だと信じたい。

11:43AM、4軒の茶屋があった西餅屋に到着。
今は若干平らな土地が残るだけだが、ここで本亭で作ってもらったおにぎりを食べた。

西餅屋

西餅屋

 

12:28PM、再出発する。
再出発
西餅屋直下に突き当たる国道を横切ってガードレールの間から藪の中に下りて行く。
そのすぐ先には西餅屋一里塚跡。

西餅屋一里塚跡

西餅屋一里塚跡

その先の路面は土がやせているのか、ゴツゴツした石と枯れ葉で埋まっている。
石と枯れ葉で埋まった街道

そして岩が砕けてできた石が斜面を埋め尽くしたような一角に出る。

垂木坂

垂木坂

垂木坂坂のガラ場だ。
江戸期には梯が架けられていた難所だった。
そろりそろりと歩いて通り過ぎた。

その先はまた土と草が復活してピクニック気分で歩ける。
きのうバスで会った夫婦は「明日はもう歩かない」と言っていたが、その通りなら実に勿体ないことをした。
地面も特にぬかるんでいることはなく、街道歩きには絶好のコンディションだ。
旧中山道

 

ただその先の中山道は旧道が消失している部分が多く、迂回を繰り返すことになる。
国道を歩いていると左手に「男の隠れ家」という小屋を発見。
男としてこれは素通りできぬと中をのぞくとエロ本・エロDVDの自販機だった。

男の隠れ家

男の隠れ家

 

1:23PM、浪人塚の前に着く。
幕末、尊王攘夷派の水戸浪士の一団(天狗党)は、水戸出身の政事総裁職・一橋慶喜に攘夷を訴えるため京を目指していた。
幕府に命じられて彼らを阻止しようとした高島藩・松本藩連合軍との闘いがこの地であったのだ。
地元民は、作戦の為本気で村に火をかけるつもりだった幕府方ではなく、宿泊した民家に宿賃を払った浪士方に味方して弾薬の運搬を手伝ったりした。
そして幕府方を追い払うと浪士と共に勝どきの声を上げた。
ここはその時に戦死した浪士を祀った塚である。
さっきの男の隠れ家とはえらい違いだ。

浪人塚

浪人塚

 

1:40PM、樋橋茶屋本陣跡に到着。
ここにはバス停があり、最悪はこのバス停で歩きをやめることも考えていたが、今日はまだまだ歩けそうだ。

樋橋茶屋本陣跡

樋橋茶屋本陣跡

樋橋の集落を過ぎるとほぼ国道を歩くことになる。
その国道から右にそれる旧道があるはずなのだが分岐点が見つけられずそのまま国道を歩いた。
国道から見下ろす川沿いの集落の中の道が旧中山道ではないだろうか?
あれが中山道か

 

14:48PM、木落とし坂に着く。
諏訪といえば御柱祭。
いなせなあんちゃん達が丸太に乗って坂を一気に滑り降りるあの祭りの会場がここだ。
坂の上から見下ろすと結構な急勾配だ。
しかしこの静かな丘があの熱狂の舞台に変貌するとはなかなか想像しがたい。

木落とし坂

木落とし坂

 

3:08PM、行く手の先に諏訪湖が見えてきた。
ゴールが見えてきた。

諏訪湖

諏訪湖

 

下諏訪宿に入る直前で街道から右にそれ、小さな川を渡った所にあるのが、万治の石仏だ。

万治の石仏

万治の石仏

巨大な石の胴体に小さな卵型の石を乗っけて頭とし、顔や手を彫って仏像としている。
伝説によると元々この石は諏訪大社の鳥居にするはずだったのだが、石工がノミを入れるとそこから血が流れたので作業を中止した。
その夜石工の夢に「上原山(茅野市)に良い石材がある」というお告げがあり、実際そこで得た石材で鳥居を完成させることができた。
そこで石工達はこの石に阿弥陀如来をまつって記念としたそうだ。
鳥居を作るはずの石を仏にするというのは実に無邪気な神仏習合である。
石仏の造形にも素朴な味わいがある。

4:06PM、諏訪大社下社春宮に到着。

諏訪大社下社春宮

諏訪大社下社春宮

朝から歩き詰めでかなり疲れてもいる。
境内をさらっと見ただけで先を急いだ。

4:19PM、下諏訪宿に入る。
低層の木造建築がひしめくように建ち並んでいる。

下諏訪宿

下諏訪宿

 

 

下諏訪宿本陣

下諏訪宿本陣

4:29PM、下諏訪宿本陣の前を通り、目と鼻の先の今日のゴール地点である中山道と甲州街道の合流地点にたどり着いた。

中山道甲州街道合流地点

中山道甲州街道合流地点

天候に恵まれて最高の街道歩きだった。

下諏訪宿の本陣は現在聴泉閣かめやという温泉旅館になっている。
今日はこれからそこに泊まる。

聴泉閣かめや

聴泉閣かめや

受付に行くとそこにいたおじさんが卑屈なくらい丁寧にお辞儀をしてくれ、やって来た女将が保存されている宿場時代の座敷に通してくれた。
「お庭を見てて下さい」
ということなので、出された抹茶を飲みながら庭を眺めた。
ここの庭は昔から中山道随一という評判なのだ。
しかし悲しいかな庭に関する審美眼は全く持ち合わせていないので何がいいのかさっぱりわからなかった。
どこを見ればいいのかさえわからない。
従ってろくな写真も撮れなかった。

本陣の庭

本陣の庭

それはともかく、今日一日の大行程の疲れを温泉と食事で癒して眠ることができる。
極楽の一夜だ。


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