塩尻~洗馬~本山~贄川~(木曽平沢駅)2008.5.18
8:16AM、宿泊のルートイン塩尻を出る。
前回旧本陣の宿に泊まるという大贅沢をしたので今回はビジネスホテルにしたのだが、コンパクトで居心地のいい部屋だった。
ここは駅からも離れているのだが、国道19号線沿いということもあって周りにはファミリーレストランなどの郊外型の店舗が建ち並んでいる。
中山道はここから1kmほど南を通っているのでまずそこまで歩く。
8:29AM、旧中山道を歩き始める。
住宅街を抜け、のどかな田園の道を行く。
30分ほどで平出一里塚に着く。
左塚は街道左手の田んぼに突き出るように1基、そして右塚は民家の裏にあって一応両塚残っている。
田植え直後の田んぼの中の道を歩く。
歌人としても名高い戦国武将・細川幽斎が肘をかけて歌を詠んだという肘懸松の前を通り過ぎると右からもう1本の道が合流して来る。
これは善光寺に続くいわゆる善光寺西街道だ。
追分で分岐したあの道が善光寺を経てここで再び合流したのだ。
と思ったら現地の説明板を読むと実際の合流地点はもう少し手前にあったらしい。
そこでちょっと引き返してみるとそれらしい三叉路があり、常夜灯が建っている。
ここが本来の合流地点(分去れ)らしい。
ほどなく洗馬宿に入る。
すぐに「太田の清水」という案内があるのでそれに従って街道右の路地を入る。
すると路地は急激に高度を下げている。
その斜面に積まれた石垣の間の樋から木曾義仲にまつわる伝説もあるという清水が今も流れている。
その場所からは奈良井川が形成した河岸段丘に沿って広がる田園風景が見渡せる。
心がなごむ景観だ。
街道に戻り人も車もほとんど通らない洗馬宿を歩く。
街道左手に荷物の目方を検査する荷物貫目改所跡がある。
規定を超える荷物には増賃金を徴収して伝馬役の過重労働を防いでいたそうだ。
江戸幕府はブラックではなかった。
洗馬宿を出てすぐの左手に牧野一里塚跡を示す標柱がつつじの白い花に囲まれて立っていた。
そこから右手は田園、左手は山すその斜面という道を40分ほど歩くと前方に鯉のぼりがはためく民家が見えて来て、信濃路最後の宿場である本山宿に入った。
ここは麺類としてのそば、いわゆるそば切り発祥の地なのだそうだが、蕎麦屋はおろか、飲食店の類は一軒も見当たらなかった。
それよりもこの宿の見所は、卯建のあがる旧家が斜めに建ち並ぶ斜交屋敷だ。
築100年を超える木造建築が大きな損傷もなく現役の民家として使用されている。
見事なものだ。
本山宿を出た旧中山道はすぐに国道19号線と合流し、釜之沢という小さな川に突き当たる。
旧中山道はこの沢を100mほど上流にさかのぼって渡河していたということなので、国道を左にそれて上流に向かってみた。
道跡がはっきりしないので沢まで下りて、適当な所で飛び石伝いに沢を渡って対岸に出た。
そこから道跡のありそうな場所へは2mほどの崖をよじ登らなければならない。
僕らは軍手をはめて崖に張り付いて登り始めた。
女房は最初の1歩で20cm滑落した。
どうにかこうにか平地までよじ登った。
そこを通る林道のような平面が旧道の跡らしい。
置き去りにされたようにポツンと建つ馬頭観音の石碑がその証だ。
サバイバルを終え、元の道に戻ると今度は旧道は国道から右にそれる。
そして日出塩の集落に入ったあたりで正午を迎えたので日出塩駅(無人駅)のベンチで塩尻のホテル近くのコンビニで買っておいたおにぎりを食べた。
きのうは丸1日かけて10kmしか歩けなかったのだが、今日は昼までに13kmは歩いている。
かつてないハイペースだ。
12:53PM、歩きを再開する。
国道と合流した旧中山道を歩いていると前方の歩道の柵に猿がいた。
僕らを見てすぐに森の中に消えて行った。
いよいよ山の中に入って来たことを実感する。
1:13PM、牛首峠を経て下諏訪に抜ける初期の中山道との分岐点を通過し、すぐに桜沢に架かる境橋を渡る。
ここが塩尻市と旧木曽郡楢川村(現在は塩尻市に編入合併)の堺だ。
つまり今木曽路に入ったのだ。
すぐに有名な「是より南 木曽路」の碑が現れる。
そこから旧道はいきなりコンクリートで固めた山の斜面をへばりつくように上り、森の中へ入って行く。
わずかな踏み跡を辿ると、そこが旧街道であった証の観音像の前を通り再び国道に合流する。
そこは茶屋本陣跡で、明治天皇も休憩したそうだ。
そこからは概ね国道を歩き、2:33PM、贄川駅に到着した。
元々今日の歩きはここまでのつもりだったのだが、時間と体力と相談してもう一駅先の木曽平沢まで歩くことにした。
駅を出て跨線橋を渡っていると左下に復元された贄川関所が見えたので立ち寄ってみた。
ここでは女性と木曽の木材の密移出に目を光らせていた。
余り時間に余裕がないので外から見物しただけで通り過ぎた。
その先が贄川宿だ。
すると宿場はお祭りの真っ最中だった。
田舎の素朴なお祭りの様子をカメラに収めていると、そこにいた地元の人から声をかけられた。
「このポストも撮ってあげて下さい」
一瞬意味がわからず
「ポスト・・・ですか?」
「ええ、手紙を差し込むところに英語で‟LETTER”と書いてあるのは珍しいのでインターネットでも話題になってるんですよ」
との事なので一応このレトロなポストも写真に撮っておいた。
宿場を出た旧中山道は国道と付かず離れずを繰り返しながら平沢に向かう。
何しろ両側から山が迫って来て、道を通せるところと言えば奈良井川沿いの谷間しかなく、旧道と国道は反目しながらも同じような道筋を辿るしかないのだ。
途中の集落では住宅にお祭りを表す締め飾りがしてあって、家には誰も残っていないような雰囲気だった。
平沢の集落が近づいたあたりでまた土の道を行く。
そろそろ帰りの列車の時間が気になり始める。
諏訪神社手前の市の史跡になっている中山道石垣も歩きながら写真を撮った。
舗装道路に戻ると木曽漆器で有名な平沢の集落で、3mほどの道の両側に漆器を商う店が軒を並べている。
その街並みを立ち止まらずに手ブレ覚悟でカメラに収めながら歩く。
4:02PM、中山道から木曽平沢駅に向かう道に入った所で列車がやって来るのを確認、ダッシュで駅に向かう。
ホームに入って来た列車に滑り込むように飛び乗った。
あと1枚写真を撮っていたら間に合わなかったかも知れない。
今日は結局26kmを歩いた。
断トツの最高記録だ。
歩けば歩くほど面白いように距離が延びる‟ウォーカーズハイ”とでも呼ぶべき状態を経験した。
これは大きな自信になりそうだ。
さて帰りは塩尻で乗り換え時間が空いたので夕食をとろうと途中下車して駅周辺をウロウロしたのだが、駅前だというのに飲食店の類が全く無い。
国道19号線沿いの、ホテルがあった辺りの方が遥かに栄えている。
どうやら塩尻では最初に栄えた宿場が鉄道開設によって駅前に賑わいを奪われ、その駅前もモーターリゼーションの進行によって国道沿いに賑わいを持って行かれるという3段階を辿ったものと見える。