保土ヶ谷~戸塚2010.5.4

10:19AM、保土ヶ谷駅前から歩き始める。

保土ヶ谷宿
保土ヶ谷宿

すぐに旧東海道から左に分かれる道がある。
鎌倉方面に向かう金沢・浦賀往還の追分だ。
道標が4基も建っている。

金沢・浦賀往還の道標
金沢・浦賀往還の道標

JRの踏切を渡ると左から国道1号線が合流して来る。
その合流地点あたりに保土ヶ谷宿の本陣跡がある。
コンクリートの塀の向こうに往時の門と、小屋のような木造建築がどちらも朽ちかけた状態で建っていた。

保土ヶ谷宿本陣跡
保土ヶ谷宿本陣跡

本陣から5分ほどの所には江戸期から続く旅籠屋だった本金子屋の建物(伝・明治2年築)が現存している。

本金子屋
本金子屋

保土ヶ谷にはかつて松並木がこの辺りから約3kmに渡って続いていたそうだ。
現在ではほとんど失われた松並木が宿場の出口付近に一里塚と共に一部復元されている。
ここには宿場への通行を取り締まる見附も置かれていた。

一里塚跡
一里塚跡

宿場を出るとすぐに旧東海道は国道1号線を右にそれる。
緩やかに高度を上げて、この先の難所・権太坂に向かう。

権太坂に向かう旧東海道
権太坂に向かう旧東海道

11:24AM、権太坂を上り始める。
箱根駅伝でも権太坂は登場するが、あれは国道1号線であって旧東海道の権太坂とは違う。
本物の権太坂は、自動車通行を前提に通された国道よりもはるかに急坂だ。

権太坂
権太坂

坂を上り切るとしばらく平坦な道を行く。

権太坂を上り切った
権太坂を上り切った

道の両側は高度が下がっていて、街道が尾根を通っていることがわかる。
これは珍しいかも。

途中で街道を左にそれて坂を下る。
そこにあったのが投込み塚だ。
往時の権太坂は今よりも急坂だったらしく、行き倒れになる旅人が続出した。
その旅人の遺体を葬った場所だ。
今でも地元の人は大切にしているらしく、きれいな花がお供えされていた。

投込み塚
投込み塚

11:58AM、境木立場跡に到着。
往時はここに茶屋が建ち並んでいた。
西に富士、東に江戸湾を見下ろす景勝地だったそうだが、今ではマンションにさえぎられて何も見えない。
このマンションに住めば良く見えるのだろうか。

境木立場跡
境木立場跡

さてなぜこの地が境木と呼ばれたかと言うと武蔵と相模の国境を示す木があったからだ。
立場跡の向かいは地蔵堂と小公園になっている。
この境内に国境を示す杭が立っていた。
小公園にはそれをイメージしたモニュメントが置かれている。

武蔵・相模国境
武蔵・相模国境

武蔵相模国境地帯で10分ほど休憩してから12:48PMに歩き始めた。
すぐに坂を下り始める。
この坂には焼餅坂という名が付いている。
沿道に焼餅を売る店があったそうだ。

焼餅坂
焼餅坂

道は下ったり上ったりを繰り返しながら、緑豊かな住宅地を進む。

坂を上り下りする旧東海道
坂を上り下りする旧東海道

12:24PM、品濃一里塚に到着。
神奈川県内では貴重な両塚残っている一里塚だが、住宅地に埋没してしまっている感じだ。

品濃一里塚
品濃一里塚

その先は住宅地の路地のような道を辿る。

住宅地の路地のような旧東海道
住宅地の路地のような旧東海道

12:34PM、旧東海道の右を並行する環状2号線の上空を歩道橋で渡って向かいの商業施設の中のサイゼリアで昼食をとった。

かなりゆっくり休憩して2:13PMに歩きを再開した。
街道左手を見るとまだかなり高い場所にいることがわかる。

街道左手の景観
街道左手の景観

そこからどんどん高度を下げる。
この下り坂は品濃坂という。

品濃坂
品濃坂

環状2号線を歩道橋で越えた後もジグザグにどんどん下って平地に下り立つ。

ジグザグに坂を下りる
ジグザグに坂を下りる

そこからしばらく歩いて国道1号線に合流する。

3:15PM、大山に至る大山道が右に分岐する追分の前を通過。

大山道の追分
大山道の追分

そのすぐ先で旧東海道は国道1号線から左にそれる。

左にそれる旧東海道
左にそれる旧東海道

そこからしばらく静かな住宅街を歩いて、また国道1号線に合流する。

旧道沿いの旧家
旧道沿いの旧家

少し歩くと道の右側のファミリーレストランの前に戸塚宿の江戸方見附跡の碑が見えて、戸塚宿に入る。

戸塚宿江戸方見附跡
戸塚宿江戸方見附跡

宿場としての雰囲気は皆無の国道を歩いて3:47PM、戸塚一里塚跡を通過。

戸塚一里塚跡
戸塚一里塚跡

続いて柏尾川にかかる吉田大橋を渡る。
そして4:02PMに戸塚駅前で今日の歩きを終えた。

吉田大橋
吉田大橋

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