(木曽平沢駅)~奈良井2010.5.13
11:41AM、木曽平沢駅に立つ。
2年ぶりの中山道だ。
間が空いたのには訳がある。
子供が生まれたのだ。
今回は1歳のその娘をmacpac社のポッサムというベビーキャリーで背中におぶって中山道を歩く。
いわば娘の‟中山道デビュー”だ。
晴天の下、平沢を歩き始める。
「うるし工芸の里」として知られる平沢ではなんと住民の8割が漆器に関係しているそうだ。
平沢の集落を出ると概ね国道を歩く。
すると右手に総ヒノキ造りの楢川小学校が見えて来る。
山里のロケーションに調和した佇まいだ。
少子化が叫ばれる昨今、この校舎に子供たちの元気な声が響き続けることを願わずにはいられない。
奈良井川沿いを歩いて奈良井に向かう。
そこには江戸時代ほぼそのままの宿場が残っている。
今日のメインイベントであり、宿泊地でもある。
12:37PM、奈良井駅前に着く。
このすぐ先に宿場が始まるのだが、ちょっと我慢して右斜め後方から合流して来る道を戻る。
そこにある八幡神社の境内に江戸時代初期の中山道の痕跡が残されている。
1mもない細い道の両側に樹齢200年の杉並木が続いている。
さあ、いよいよ奈良井宿に入る。
すると正に江戸時代にタイムスリップしたかのような景観が広がる。
街道の両側には木造の日本家屋だけが建ち並ぶ。
埼玉あたりの宿場に1軒でもあればありがたがって写真を念入りに撮るような家ばかりが延々と続くのだ。
どこを撮ればいいのか戸惑うくらいだ。
囲炉裏のある軽食店(店名は失念)の座敷で昼食をとった。
するとカウンターの中にオープンリールのテープレコーダーがあるのが見えた。
店主に聞くと最近は使ってないが、現役だという。
じゃあ久しぶりにかけてみようかということでオープンリールのテープをセットして再生してくれた。
ジャズの女性ボーカルものだ。
テープ特有のコンプレッション(音の圧縮)と揺らぎが感じられる心地良い音だった。
カウンターの中にはビンテージもののエレキピアノもあった。
店を出て今日泊まる民宿「いかりや町田」へ。
この辺りの建物の入り口は小さい扉をくぐって入るくぐり戸になっているのでベビーキャリーをおろして中に入る。
おかみさんに奥へ案内されたのだが、その奥までの長いこと長いこと。
歩いても歩いても廊下が続く。
まるで学校のようだ。
江戸時代は間口の広さに応じて労役に徴集される人数が決まったので、間口に対して異様なまでに奥行きのある民家が多かったのだ。
やっとたどり着いた二間続きの部屋に荷物を置いて再び宿場散策に出かけた。
木曽十一宿でも特に賑わった奈良井は俗に「奈良井千軒」と呼ばれた。
「奈良井では麦も取らずに白米ばかり食う」という意味の俗謡があったほど経済的に豊かだったらしい。
そんな宿場を歩いていてふと本陣が見当たらないことに気付いた。
観光案内所があったのでそこで「本陣はどこですか?」と聞いてみるとすぐそこの路地を入ったところが本陣跡だと教えてくれた。
そこで早速訪ねてみると、駐車場の手前に「本陣跡」と書かれた棒が無造作に立てられている。
なんと、これだけ旧い建物が残っている中で本陣はたった1本の棒杭になってしまっていた。
街道筋に戻り、いかりやのおかみさん推薦の長泉寺に行ってみた。
門をくぐって境内に入ると大きな本堂がある。
その戸は勝手に開けてもいいと聞いていたので、少々重かったが大きな戸を開けて中をのぞいた。
すると天井に龍の絵が。
これがおかみさんおすすめの絵だが、確かに薄暗い本堂の中で大迫力だ。
見応え十分。
3:53PM、宿場の防御施設でもある鍵の手を通過する。
街道がクランク上に折れ曲がっていて外敵からの見通しを妨害し、攻撃の勢いをそぐ。
桝形と呼んだりもする。
宿場の端まで行ったところで街道を離れ、宿場の南を流れる奈良井川を越えて一旦対岸に渡り、川沿いを歩いて総ヒノキ造りの木曽大橋を渡って宿場側に戻り、そこにある芝生広場で娘を遊ばせる。
陽の傾いた宿場を散策し、「こでまり」という喫茶店に入る。
2階の窓際の席で街道をながめながらコーヒーと五平餅を頂く贅沢な時間を過ごした。
帰り際、階段を降りるとき壁にエレキギターを飾ってあるのに気が付いた。
美しい艶が目をひく。
店の人に聞くと特製の漆塗りエレキギターだそうだ。
この宿場、本当に素晴らしい!
5:34PM、夕暮れの宿場を歩いていかりやに戻った。