奈良井~藪原~宮ノ越2010.5.14

民宿いかりやまちだで目を覚ます。
子供にも色々と配慮をしてくれるいい宿だった。
昼食のおにぎりまで持たせてくれた。

民宿いかりやまちだ室内
民宿いかりやまちだ室内

9:24AM、宿の前で家族3人の記念写真を宿の主に撮ってもらっていると、きのう昼食をとった店の主が車で前を通り過ぎた。
その時の挨拶が親しげだったので聞いてみるとバンド仲間らしい。
もし中山道の宿場に住むなら、ここ奈良井だ。
僕の居場所があるような気がする。

きのうも歩いた奈良井宿を次の藪原宿に向かって歩く。
静かな宿場の朝だ。

朝の奈良井宿
朝の奈良井宿

それが宿場の出口近くになると団体客が訪れて賑やかな雰囲気。
こういうのも嫌いじゃない。

団体客で賑わう上町あたり
団体客で賑わう上町あたり

9:49AM、宿場を出たところで振り返る。
「さようなら俺の中の世界遺産、奈良井宿」

奈良井宿に別れを告げる
奈良井宿に別れを告げる

感傷に浸ってばかりもいられない。
今日はこれから鳥居峠を越えるのだ。
娘を背負って峠を越えるのはこれが初めてなので緊張感はある。

宿場を出るとすぐに舗装道路から右に分岐して山の中に入って行く石段がある。
これが峠道の入り口だ。

鳥居峠の登り口
鳥居峠の登り口

道は林の中をくねりながら登って行く。

土の道を登る
土の道を登る

一旦舗装道路に合流するが、すぐにまた右にそれる石段を上る。
するとその先は石畳の道になっている。
かなりすり減っているのかデコボコの少ない石畳だ。
これは歩きやすい。

石畳
石畳

石畳はすぐに終わり土の道が続く。

峠道
峠道

10:29AM、沢にかかる木橋を渡ると前方に骨組みだけの廃屋のような小屋が見えて来る。
ここは中の茶屋の跡だ。

中の茶屋跡
中の茶屋跡

そして小屋の反対側は崖になっていてそこを流れる沢は葬り沢という気味の悪い名が付いている。
ここは天正10年(1582)、織田信長に寝返った木曽義昌が武田勝頼軍を破った古戦場で、武田軍の遺骸で沢が埋まったということからこの名が付いたのだ。
それを知るととてもこの薄気味悪い小屋で休憩する気になれず、すぐに立ち去った。

さらに土の道を歩いて11:01AMに中利茶屋跡に出る。
ここが峠の最高地点らしい。
サッシ付きの山小屋が建っていてその脇には湧水が流れていたが、ゆうべ宿の主から「雑菌がいっぱいいるから飲んじゃだめだよ」と聞いていたので飲まなかった。

中利茶屋跡
中利茶屋跡

またここからは奈良井方面が見下ろせる。
なかなかの眺めだ。

奈良井方面が見える
奈良井方面が見える

その先の道は多少の上り下りを繰り返しながら概ね下って行く。

ゆっくり下り始める
ゆっくり下り始める

街道右手の眺望が徐々に開けて来て折り重なる山々が眺められるようになる。
11:34AM、路傍に用意された熊除けの鈴を鳴らしてさらに進む。

街道右手の景観
街道右手の景観

11:44AM、御嶽山遙拝所に到着。
なるほど、雪を冠った山頂だけが見えるあの山が御嶽山だろうか。

御嶽山か
御嶽山か

反対側の木立の間からはこれから向かう藪原の集落がおぼろげに見える。

藪原がおぼろげに見えてきた
藪原がおぼろげに見えてきた

そのすぐ先にちょっとしたベンチがあったので背中の娘を下ろして休憩した。
再出発しようと娘をベビーキャリー、ポッサムに乗せようとしたところに藪原方面から坂を上って来た西洋人の団体と行き会った。
図らずも彼らの前でポッサムのデモンストレーションをするような格好になった。
慣れた手つきで娘をポッサムに乗せ、女房の手も借りて背中に装着するとギャラリーから口々に「OH!」というような喚声がもれた。

さらに10分ほど下ると藪原がもっとはっきりと見えてきた。
峠越えはあと少しで終わる。

藪原がはっきりと見える
藪原がはっきりと見える

路傍の植生も明るい緑に黄色い花がアクセントを添えて華やいできた。

路傍の花
路傍の花

12:22PM、再びの石畳を歩く。
ここも平らな石畳だ。
そして12:33PM、舗装道路に接続する。
すると集落の中を結構な角度で下る。

坂を下る
坂を下る

そしてほどなく尾張藩鷹匠役所跡に出る。
かつて尾張藩が鷹狩り用の鷹の捕獲と飼育の為に設けた役所の跡だ。
見晴らしのいい高台になっていて、ここから鷹を放てばさぞ心地いいだろうと思わせる。

尾張藩鷹匠役所跡
尾張藩鷹匠役所跡

この鷹匠役所跡から先が藪原宿である。
すぐに飛騨街道との追分があり、その先はJRの線路で寸断されているので踏切まで回り道してまた旧道にアクセスする。

線路で分断される旧中山道
線路で分断される旧中山道

これで鳥居峠越えは終わりだ。
初めての娘を背負っての峠越えだったが、坂道がそこまできつくないこともあって特に問題もなく超えることができた。
娘は背中でほぼ眠っていた。

藪原宿は江戸期から明治期にかけて相次いだ大火のため宿場としての面影を失ったとのことだが、宿場内には旧い日本家屋が点在し、それなりの宿場風情を醸し出している。

藪原宿
藪原宿

また藪原は‟お六櫛”と呼ばれる木櫛の産地として知られ、現在でも製造販売する店が何軒かある。
実は女房に一つ買ってあげようかなどと考えていたのだが、実際に店の前から中に並んでいる櫛の値段を見ると予め考えていた予算の倍くらいあったので何も言わずに通り過ぎてしまった。
情けない旦那だ。

お六櫛問屋篠原商店
お六櫛問屋篠原商店

一旦旧中山道を離れ、藪原駅で奈良井の民宿いかりやまちだでもらったおにぎりを食べ、藪原の旅館に電話をかけてみる。
実は今日もう1泊するかはまだ決めていなかった。
幸い空いてる部屋があったので予約を入れる。
2:23PM、藪原駅を出てその旅館「勇屋」に向かう。

藪原駅
藪原駅

途中、展示された蒸気機関車の脇に一里塚跡の碑が建っていた。

一里塚跡
一里塚跡

勇屋に荷物を置いて少しだけ身軽になって宮ノ越まで歩くことにした。
しばらくは川沿いの国道19号線を歩く。
その川とは木曽川だ。
いよいよ木曽川と共に歩く旅が始まった。

木曽川
木曽川

右は木曽川、左は山の擁壁が続くというロケーションだが、コンクリートで固められた法面の上の金網越しに道標や馬頭観音らしいものが見える。
往時の中山道はもう少し山側を通っていたものらしい。

旧道の跡か
旧道の跡か

2:51PM、旧中山道は国道19号線と別れ、廃道となった旧国道を行く。

旧国道
旧国道

多少の気味の悪さを感じながら歩き、また現役の国道に合流する。
そしてまた山吹トンネルの手前で右にそれて旧国道を行く。

旧国道
旧国道

現役の道に戻ると「宮ノ越宿」と書かれた大きな看板の前を通るがまだ宿場の雰囲気ではない。
なにせ民家が見当たらないのだから。

宮ノ越宿の看板
宮ノ越宿の看板

3:51PM、巴ヶ淵に着いた。
木曽川が左カーブするこの地は急峻な崖下でエメラルドブルーの妖しい輝きを放っている。
木曾義仲と共に戦った愛妾巴御前はこの地に棲む龍の化身という伝説が残る。
今この神秘的な淵のほとりではジャージ姿の中年男性が巴御前の武勇にあやかろうと剣の稽古に余念がなかった。

巴ヶ淵
巴ヶ淵

3:59PM、徳音寺の集落に入る。
久しぶりの人里のような気がする。

徳音寺集落
徳音寺集落

川沿いの道を歩いて葵橋を渡る。

木曽川に沿って歩く
木曽川に沿って歩く

このあたりから宮ノ越宿のはずなのだが、往時の道筋は消失してしまっている。

宮ノ越宿

それでも何となく旧道風情の残る道を歩いて4:15PMに宮ノ越駅前に到着。
電車で藪原まで戻り、勇屋旅館に投宿した。

旅館勇屋
旅館勇屋

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