宮ノ越~福島2010.5.15
宿泊の勇屋旅館を出て藪原駅から電車で宮ノ越駅に到着。
駅前に立ったのが9:02AM。
まずは義仲館資料館へ。
女房と子供を表の広場に待たせて一人で見学。
しかし正直言って展示内容には失望させられた。
木曽義仲に関する予備知識ゼロのこちらとしては義仲がいつの時代に何を為した人物なのかをまず知りたかったのだがそういった基礎的な説明はなく、ただ蝋人形による名場面の再現に終始しているように見えた。
「少しは勉強してから来い」
資料館前の義仲と巴御前の銅像はそう叱っているように見えた。
9:52AM、気を取り直して中山道を歩き始める。
木曽川を渡るあたりで消失していた旧道は宮ノ越駅前から復活している。
すぐに本陣跡だが、今ではゴミ集積所の脇に石碑だけが残る。
田中家という旧い民家が残っている。
説明板があるのだが、文字があせてしまって読み取れなかった。
短い坂を上って宮ノ越宿を出ると、街道右手には原野が広がる。
10:17AM、野ざらしの宮ノ越一里塚跡を通過した。
その先はのどかな田舎の生活道を行く。
前方には中央アルプスが見えて来る。
その中央アルプスが左手に見えてきた頃、中山道中間地点に着く。
もう半分来てしまったのかという寂しさも無くはないが、この先子育てとか色々な事を考えるとこれまで通りのペースで歩けるとも思えない。
だから特別な感慨はなかったが、農地に立つ「中山道中間地点」という石碑の背後彼方に雪を冠った中央アルプスというロケーションは悪くない。
11:12AM、前方に旧立場跡に建つスーパー和泉屋が見えてきた。
ここで旧中山道から離れ、左を並行して通る国道19号線沿いの「水車屋」という蕎麦屋で昼食をとった。
なかなかおいしい蕎麦だった。
旧道に戻り、和泉屋の手前で右にそれる細い道に入る。
こちらが旧中山道だ。
その細道からさらに左にそれる、もっと細い土の道に進む。
斜面を下り、草の道を進んで正沢川のほとりに出た。
ここにレジャーシートを敷いて娘に離乳食を食べさせた。
1:13PM、歩きを再開。
鉄の橋を渡り、河原の民家の周りをぐるっと回って坂を上り、栗本の集落に出る。
この先の中山道は細切れに消失していて斜面を上ったり下ったりを繰り返して国道19号線に合流する。
右手に木曽川を見ながら歩く。
2:19PM、旧中山道は国道から右に分岐する。
より木曽川に近い高さで歩く。
水面が陽光を反射して白く輝いている。
10分ほどすると前方に関所を示す大きな冠木門が見えて来る。
福島宿の入り口だ。
宿場に入るとすぐに福島関所跡だ。
左は山、右は木曽川なので旅人はここを通らざるを得ない。
復元された建物などを見学したが、時代劇のような仰々しいBGMがずっと鳴り響いているのには少々閉口した。
関所を通過して福島宿を歩く。
昭和2年の大火で宿場の面影は失われたとのことで、今は静かな商店街といった風情だ。
街道を一旦右に離れ、木曽川を渡る。
橋の上から家並みを見ると、川のぎりぎりまで家屋が建っている。
それだけ平地が少ないのだ。
橋を渡った先にあるのが山村代官屋敷だ。
家康によって幕府直轄地となった木曽の代官に任命された山村氏は木曽が尾張藩領となった後も代官として関所の管理などに当たった。
島崎藤村『夜明け前』によると、木曽では尾張候のことを「尾州の殿様」、山村代官のことを「福島の旦那様」と呼んでいた。
元は徳川直臣だったという山村氏の矜持は気風として受け継がれ、幕末に至り鳥羽伏見で新政府が勝利するといち早く新政府方に恭順した尾張藩に対し、山村氏では主戦論が強かった。
しかし時勢には抗えず恭順を決心した山村氏の隠居が、その証として新政府軍に献上する馬を連れて休息した馬籠の本陣で、主人公青山半蔵の父と対面する場面は『夜明け前』全4巻でもひときわ印象的な場面だった。
街道に戻り福島宿を歩く。
街道はやたら細かく折れ曲がる。
4:10PM、坂を上ると高札場が復元されていて、その先旧い家屋が建ち並ぶ一角に出る。
上の段だ。
風情のある一角を抜け、橋を渡り、商店街を通って4:25PMに木曽福島駅に着いた。
中山道を歩き始めてから初めての2泊3日を歩き切った。
娘をおぶって。