福島~上松2010.5.21
12:10PM、快晴の木曽福島駅前から歩き始める。
旧中山道はまるでオリエンテーションのようにややこしく折れ曲がり、5分ほどで崖の上に出る。
ここから崖の斜面をジグザグに下りる道を辿る。
その途中で振り返ると、木曽川が形成した谷にへばりつくように人家が建ち並んでいる。
木曽独特の景観だ。
地上に下りて、12:37PMに塩渕一里塚跡を通過。
その後旧道は県道と並行して坂を上る道に分岐する。
坂を上り切った辺りが中平立場跡。
その後の旧道は路地のように山間の集落を抜け、やがて草の中の踏み跡となって林の中に消える。
そこに廃線となった鉄道のトンネルがあって、今は道路になっているのでそこを通る。
トンネルを出ると、消えた旧道が復活して合流して来るのでそちらを戻ってみた。
するとこれが斜面に点在する民家の前を蛇行する雰囲気のいい道だ。
できればトンネルなしの一筆書きで歩きたかった。
元の道に合流し、神戸の集落を抜けると薄暗い林の中に御嶽山遙拝所が現れる。
石垣で固められた見晴台のようになっている。
しかしそこに至る石段は急な上に一段が狭いので子供を背負って上るのは危なそうなので素通りした。
その後旧中山道は鉄道で寸断される。
踏切はないが、渡ろうと思えば渡れる。
しかしここも子供を背負っているので自重して代わりの道を歩いた。
すると遠くに雪を冠った御岳山の頂上部だけが見えてきた。
その先で線路をくぐって中山道に復帰すると今度は国道19号線から左にそれる坂を上る。
坂の上の集落では鯉のぼりが風をはち切れんばかりにはらんで元気に泳いでいる。
深刻な少子化が進む日本の田舎で鯉のぼりを見ることには格別の感がある。
そこには確実に次の世代がいるのだ。
坂を下って集落を抜け、線路と民家の間の草の道を辿り、さらに国道まで坂を下る途中で樹々の間から木曽の桟が見えてきた。
2:48PM、坂の途中の沓掛一里塚の前を通り、国道19号線に合流して進む。
桟を通り過ぎた所にある赤い橋を途中まで渡ってそこから木曽の桟跡を見る。
桟の上を通る国道を支える柱の左側に少し突き出た石垣が見える。
あれが往時の桟の石垣部分だ。
恐らく右側にもあのような石垣があり、その間を木橋で繋いでいたのではないだろうか。
あの狭い道幅でバランスを崩せば木曽川に真っ逆さまという恐怖の難所だったらしい。
またこの橋の上から見る木曽川は岩肌がゴツゴツとしていて見応えがある。
桟から先は概ね国道19号線を歩く。
3:22PM、旧中山道は国道から左にそれるのだが、その先すぐに消失しているのでそのまま国道を歩く。
すると歩道はおろか路側帯さえない区間に行き当たる。
車道では長距離のトラックが轟音をたてて行き交う。
現代人にとってはこちらの方がよっぽど恐怖の難所だ。
覚悟を決めて車両通行の途切れた隙間にダッシュして約100mの難所を通り過ぎた。
国道はいつの間にか旧中山道と合流していて、3:51PM、国道から左にそれる形で上松宿に入る。
木曽で伐採される木材の集積所として栄えた上松宿は昭和25年(1950)の大火で旧状を失ったが、宿の江戸方入り口に当たる上町だけは焼け残り、宿場の雰囲気を今に伝える。
緩やかに蛇行する幅3mほどの坂道の両側に旧い木造住宅が建ち並ぶ。
いい雰囲気だ。
その先、坂を上り切ったあたりから旧い建物は見られなくなる。
塚本本陣は現在塚本歯科医院だ。
4:09PM、本町一里塚跡を通過。
その先で国道に突き当たり、合流して左折する。
4:13PM、その国道沿いの旅館田政に投宿した。