上松~須原2010.5.22
8:39AM、旅館田政を出発する。
国道をそれて坂をジグザグに上ると宮前集落に出る。
そこはかつての尾張藩上松材木役所後陣屋跡だ。
寛文3年(1663)から4年にかけて尾張藩が木曽全山の検分を行うと材木はあらかた伐られていた。
驚いた尾張藩は山村代官から山に関する一切の権限を取り上げてここに直轄の材木役所を置いたのだ。
周囲を高土手や丸太で囲い、大砲まで備えていたということだが、何をそこまで警戒していたのだろう。
山村氏が攻めて来るとでも思ったのだろうか?
それほどまでに木曽の木材の利権というものは大きかったものと見える。
そこから15分ほど坂を上ると街道右側の視界が開けて遠くまで見渡せる。
天気も良く、気持ちがいい。
さらに坂を上って9:40AM、民宿たせやと旅館越前屋という2軒の旧い建物の前に着く。
一旦中山道から離れてこの2軒の間の路地を木曽川に向かって一気に下ると、臨川寺という寺に突き当たる。
ここから景勝地‟目覚めの床”が見られるということなので、拝観料を払って境内に入った。
寝覚めの床展望台という場所からはるか崖の下を望むと、地中から垂直に隆起したような白い奇岩が川の両岸からせり出している。
浦島太郎が玉手箱を開けた場所がここだという伝承もあるそうだが、確かに神秘的な雰囲気もある。
川岸まで下りる階段もあるそうだが、娘を連れてそんな急階段を往復するのは大変なので、寄り道はここまでにしてさっきの坂を上って中山道に戻った。
10:27AM、旧道の舗装が途切れ石畳となる。
石畳の坂を下って県道に合流する。
10:48AM、小野の滝の前に出る。
木曽八景に数えられる名所だったそうだが、滝のすぐ前に鉄道の鉄橋を通してしまったため美観は全く失われている。
滝が排水口にしか見えないと言ったら言い過ぎだろうか。
日本橋と同じような現象だ。
10:59AM、荻原一里塚跡を通過。
概ね下り坂の荻原集落を抜ける。
その後街道は線路脇の坂道をどんどん上る。
上り切ったあたりに小集落がある。
そこから坂を下ると、3分ほどで朽ちかけた旧家屋の前に出る。
そこで舗装が途絶えて土の道になる。
さらに草の道を進み、舗装道路に合流して集落の中を下る。
雰囲気のある小集落をいくつか抜けて国道に合流する。
変化に富み、景観も面白い道だった。
12:07PM、倉本駅の無人の駅舎でおにぎりを食べる。
ここで今夜の宿を予約するつもりだったのだが、携帯電話で明日の天気を調べると雨だ。
なので今日須原まで歩いたら、そのまま帰ることにした。
12:54PM、歩きを再開する。
田植え直後の田園の道をゆく。
坂を上って倉本集落を歩く。
坂を下り始めると舗装が途絶え、土の道、草の道となって渓流沿いの舗装道路に着地する。
あー楽しい!
一旦国道に合流してすぐにまた右にそれる坂を下る。
するとそこは池の尻立場跡だ。
細い道の右側にかつての茶屋を彷彿とさせるような建物が並んでいる。
立場の跡にある独特の雰囲気が好きだ。
人々が休息した‟気”とでも呼ぶべきものが漂っていて、僕のサボり心がそれに感応するのだろうか。
その先は草の道を歩いて国道に合流する。
その先も旧中山道と国道はくっついたり別れたりを繰り返しながら木曽川沿いを須原に向かう。
そして2:28PM、国道を左にそれて坂をのぼると立派な塀の建つ路地を抜けて須原宿に出る。
雰囲気あり気な須原宿の街並を一瞥しただけで、散策は次回の楽しみとし、須原駅から東京に帰った。
木曽路は概ね国道と並行している。
味気ない幹線道路を歩くことも少なくない。
しかし一旦国道をそれれば、上り坂、下り坂、土の道、草の道、石畳と変化に富み、沿道の風景も刻々変化する豊饒な世界が広がっている。
木曽路は素晴らしい。