(十二兼駅)~三留野~妻籠2010.5.29
木曽福島の旅館さらしなやで目覚める。
裏を流れる川はもちろん木曽川。

木曽福島駅で電車に乗り、十二兼駅から歩き始めたのが10:01AM。
足元には木曽川。

今、線路の西側の旧中山道に立っている。
きのう、このちょっと手前まで線路の東側を通っていた旧中山道が線路を超えて西側に回って来るポイントが見つけられずに仕方なく線路東側沿いの国道を駅まで歩いた。
なので今日はまずそのポイントを見つけるべく、次に向かう三留野とは反対方向に歩き始めた。

川沿いの集落を抜けると、右側に水路と共に線路をくぐる小さなトンネルがあった。
踏切ではなくトンネルだったのだ。
トンネルを抜けて反対側に出ると国道の手前にトンネルの入り口があった。
きのうはこれを見落としていたのだ。

十二兼駅まで引き返して、次の三留野に向けて歩き始める。
右側に木曽川。
時々川沿いの集落を抜ける。

この辺りの木曽川の河原には白く四角い岩がいくつもあって、ちょっとした”寝覚ノ床”のようだ。

その後2km以上に渡って国道を歩くことになる。
この国道の単調さを慰めてくれるのがやはり木曽川だ。
巨岩、奇岩がゴロゴロする雄大な景観で飽きさせない。
緩やかな蛇行も目に心地いい。

この辺りは断崖が木曽川まで垂直に切り立っているため、江戸時代は”羅天の桟道”と呼ばれる難所だった。
今歩道は、それこそ木曽川べりに張り出すような形で付けられていて安全に歩行できる。
江戸時代だったら空中を歩いていることになるのだろうか。

11:16AM、国道から左にそれる。
木曽川ともしばしのお別れだ。

20分ほどで三留野宿に入った。
すぐに左後方に分岐して坂を上る道が現れる。
これはさっきの羅天の桟道を避けるために通された与川道だ。
この道は現在「歴史の道」として整備されているということだ。
歩いてみたいのはやまやまだが、まずは本道を踏破したい。

三留野宿は昔ながらの道幅で緩やかな蛇行と緩やかなアップダウンを繰り返す旧道の両側にトタンで補強した旧い建物が建ち並ぶ。

例によって本陣は消失し、これまた例によって「明治天皇行在所」という巨大な石碑が建っている。

その先で旧道はガードレールの切れ間から階段を下りる。
甍の波の中に飛び込むような感覚だ。

そこから5分ほどで旧中山道はなんと民家の庭先を通る。
ちょっと躊躇しそうなところだが「↑中山道」という表示があるので遠慮なく通らせてもらった。

その先段々畑の脇を通る陽だまりの草道を行く。
山の斜面の等高線に沿うようなルートだ。
のどかなピクニックを満喫する。

しかしゆっくりばかりもしていられない。
帰りに乗る予定の列車の時間が迫っている。
それを逃すと南木曽駅で何時間も足止めを食ってしまうのだ。
急ぎ足で駅に向かった。

駅が見えると列車が入って来るところだ。
ダッシュで駅舎に飛び込むと、陸橋を渡った先のホームから今にも発車しそうだ。
無人の改札を突破しようとした時、後ろの女房が
「もう無理だからあきらめよう」
と言って来た。
そこにいた駅員さんも
「危ないからやめときな、子供もいるんだし」
こうして僕らは南木曽駅に取り残された。

ここで計画を練り直した。
ここから3km先の妻籠まで歩き、妻籠からバスで南木曽に戻ることにした。
駅に隣接するバス乗り場でバスの切符を買い、駅の窓口で電車の切符を買った。
この時、窓口にいたさっきの駅員さんに特急列車の車両の中の最後尾の席をお願いした。
そうすれば席の後ろのスペースにベビーキャリーを置けるのだ。
すると駅員さんは何分もかけて色々と調べて切符を出してくれた。
1:27PM、妻籠に向かって歩き始める。
小集落を抜けると山道に入る。
妻籠へはちょっとした峠を越える。


神戸という集落に入ったあたりに「ふりそでの松」という石碑と松の切り株がある。
かつて木曽義仲がこの地で弓を射ようとした時に松が邪魔だったので、そばにいた愛妾巴御前が袖を振ってその松を根こそぎ薙ぎ払った。
その後、跡地に生えた松を土地の人は「ふりそでの松」と呼ぶようになった。
代替わりを重ねながらもこの地にあった松も、平成に入って松喰い虫にやられて伐採されてしまった。

そのすぐ先にあるかぶと観音にも義仲伝説が残る。
挙兵した義仲がこの地に自分の兜の飾りにしていた観音像を祀る祠を建てたのが始まりだそうだ。
境内には伐採したふりそでの松を利用して作った水舟もあった。

その先道は下りながら妻籠に向かう。

1:58PM、上久保の一里塚を通過。

2:15PM、朽ちかけた小屋の前に出る。
しろやま茶屋跡だ。
その先で道は3つに分かれる。
真ん中が旧中山道だが、ここは右の坂を上って妻籠城に寄り道する。

妻籠城の始まりは不明だが、秀吉と家康が戦った小牧・長久手の戦いの際は秀吉側の山村良勝が守っていた。
後の木曽代官だ。
良勝は攻めて来た徳川軍を撃退した。
その古戦場でもある。

主郭からはこれから向かう妻籠が見下ろせる。
帰りのバス乗り場がありそうな場所の見当をつけておく。

中山道に戻る。
妻籠宿が近いことを感じさせる旧い家屋がぽつりぽつりと現れる。

2:46PM、緩い坂を上った左カーブ沿いに旧い家屋が並んでいる。
いよいよ妻籠宿の始まりだ。

復元された高札場跡を過ぎて坂を下ると建ち並ぶ旧い家屋の間に沢山の観光客がいる。
アジア系の人も多い。
中山道の宿場がこれだけ賑わっているのを見るのは初めてだ。

女房がつぶやいた。
「私、妻籠をなめてたかも・・・」

宿場散策は次回に回すことにして、鈴屋というお休み処で格子戸越しに街道を眺める贅沢な時間を過ごしてからバス停に向かった。

帰路、塩尻で特急に乗り換えると座席は最後尾ではなく、最前列だった。
あれだけ一生懸命調べてくれた駅員さんにとても文句は言えない・・・。