妻籠~馬籠2010.9.19
10:36AM、4か月ぶりの妻籠宿に立つ。
早速散策を始める。
1歳半の娘にはリード付きのリュックを背負わせて、親のどっちかがリードを持った状態で歩かせてみた。
そうしたら気まぐれとわがまま振りを存分に発揮する。
始め親を引きずって脇本陣の玄関の前まで来たかと思うと引き返して向かいの本陣に向かった。
そこでまずは本陣を見物することにした。
妻籠宿の本陣は島崎藤村の母親の実家であり、最後の当主は養子に来た藤村の実兄だった。
その経緯は『夜明け前』にも書かれている。
建物は明治期に取り壊されていたが、平成7年に復元された。
復元ではあっても石を乗せた板葺きの屋根など山家の雰囲気は濃厚に感じられる。
次はさっき入りかけた脇本陣奥谷へ。
ここは明治10年に建てられた家屋が残っている。
内部は日本家屋独特の陰影に富んでいる。
印象深かったのは囲炉裏の煙にいぶされ、そしてそれを磨くということを繰り返して生まれる木材のツヤだ。
美しい。
妻籠宿は慶応4年(1868)の大火で宿の中心部をあらかた消失し、明治期には馬車の通れる新道や鉄道がことごとく妻籠を通らなかったために寂れてしまっていた。
しかしそれが幸いし、昭和40年代の初めに歴史的な街並みを守るための運動が起こると昭和51年には重要伝統的建造物群保存地区として選定される。
高度成長期の真っただ中にあって先駆的な運動だ。
そのおかげで今日僕らはこの素晴らしい宿場を堪能できるのだ。
妻籠宿ふれあい館という無料のお休み処で持参の昼食をとり、12:38PMに散策を再開する。
まず観光案内所で完歩証明書をもらう。
ヒノキの薄木製のこの証明書に馬籠の観光案内所でスタンプを押してもらえば証明書の完成となる。
観光案内所の目の前は下り坂を伴う大きな桝形。
坂を下ると右側に江戸時代後期のひなびた家屋が長屋状に並んでいる。
その前を派手ななりの観光客が行き交うのは妻籠ならではだ。
その先で道の両側に家並みが復活する。
このあたりが日本で最初に宿場の保存事業が行われた寺下地区だ。
なんと意義深い事業だったことか。
昭和44年の解体復元によって18世紀中期の木賃宿だったことが判明した上嵯峨屋の前を過ぎるとそろそろ宿場は終わる。
この素晴らしい宿場に別れを告げて馬籠に向かう。
宿場を出るとすぐ左手に尾又という、伊奈への追分がある。
沢沿いの道をたどれば伊奈に抜けられるらしい。
1:11PM、駐車場の脇で準備運動をしてから娘をベビーキャリーに乗せ、馬籠峠に向かって歩き始める。
ここから7km弱だ。
1:36AM、大妻籠の集落に着く。
卯建の上がる豪壮な旧家が建ち並ぶ。
この辺りにはもう観光客はほとんどいない。
その先で旧道は県道を超えて山の中に入って行く。
いきなりの石畳だ。
いいぞ。
林の中の石畳を抜けると今度は田園の脇を通る土の道だ。
のどかで気持ちがいい。
その先は林の中の土の道をしばらく歩く。
2:50PM、一石栃立場跡に到着。
ここには木材の出入りを監視する口留番所と数軒の茶屋があった。
今はそのうちの1軒が残り、無料の休憩所となっているので僕らも休ませてもらった。
すると管理人のおじさんがお茶と飴をふるまってくれた。
おじさんの話では峠まではもうすぐらしい。
10分ほど休憩して歩きを再開する。
林の中を歩くこと約25分、その道が県道に合流する地点が馬籠峠の最高地点だ。
そこにある茶屋で缶ジュース1本の休憩をとって坂を下り始める。
すぐに岐阜県に入る。
碓氷峠を超えて長野県に入った時は夫婦二人の旅だった。
今娘を背負って3人で県境を越える。
しかし木曽路は今しばらく続く。
馬籠宿までは木曽国なのだ。
県道をそれて5分足らずで、峠集落がかなり急な下り坂の途中に現れる。
この集落には街道の荷を運ぶ”牛方”が多く住んでいた。
この牛方と中津川の問屋との間で幕末期に運賃配分の争いが起こり、牛方が勝利した。
『夜明け前』では変革の兆しとして描かれていた。
その先、舗装道が整備された石畳になり、さらに土の道となる。
途中大きな段差を上るとき右ひざに大きな負担がかかって軽く痛めてしまった。
この先こまめにストレッチを繰り返しながら歩くことになる。
県道をまたいで林の中の石段を300mほど上ると展望台に出る。
美濃平野東部が一望できる。
舗装道路を渡って馬籠宿に入る。
ここも観光客でいっぱいだ。
南面する斜面沿いに宿場が開けているので今までの木曽路にはなかった開放感がある。
観光案内所で完歩証明書にスタンプを押してもらい、宿場中ほどで街道を右にそれて永昌寺に行ってみる。
『夜明け前』では万福寺として登場する、島崎家とは浅からぬ因縁の寺だ。
境内からは馬籠宿本陣(藤村実家)跡に建つ藤村記念館の白い建物が見える。
目と鼻の先だ。
街道に戻り今日の宿、民宿馬籠茶屋に投宿した。
二つの美しい宿場と、その間の峠越え。
実に楽しく有意義な一日だった。