醒井~番場~鳥居本2023.10.7

未明に埼玉の自宅を出発して初代N-BOXターボで滋賀を目指す。
2度の休憩を経て彦根インターで高速を降り、米原駅前へ。
市役所の有料駐車場に入れたのが9:33AM。
近江鉄道で醒井に着いたのは10時過ぎ。
今日はここから番場を経て鳥居本までおよそ8km歩く予定。

10:20AM、秋晴れの中山道をまずは番場に向かって歩き始める。

番場に向かって歩き始める

すぐに右側に「一類孤魂等衆」の碑が現れる。
その説明によると江戸時代後期、旅の老人が「母親の父が飲みたい」とつぶやいていたところ乳飲み子を抱いた母親が哀れに思って自分の乳をふくませてやった。
おいしそうに飲んだ老人は
「本当の母親に会えた気がする。懐に70両あるのであなたに差し上げる」
と言い残して息絶えた。
母親はこのお金をもらうわけにはいかないと、そのお金でこの碑を建てたそうだ。
珍しいパターンの行き倒れである。

「一類孤魂等衆」の碑

旧道は一旦国道と合流して丹生川を渡ってすぐ右にそれる。
山すその静かな住宅街だ。

番場に向かう旧中山道

北陸自動車道によって消失した旧道が復活するあたりに久礼一里塚跡がある。

久礼一里塚

それから少し歩くと唐突に「中山道番場宿問屋場跡」という標柱が右手に現れて、いつの間にか番場宿に入っていたことがわかる。

番場宿

その先を歩くと次々に「問屋場跡」の碑が現れる。
全部で7か所。
随分と問屋場の多い宿場だったらしい。

問屋場跡

宿場中ほどに左に伸びる道がある。
この道の突き当りにあるのが蓮華寺で、足利尊氏らに六波羅を攻められて京を落ちた六波羅探題・北条仲時が自刃した寺だそうだ。

蓮華寺への道

街道左手の番場宿資料館で休憩させてもらう。
番場宿に旧い建物等は見当たらなかったが、道幅や家並みにそれなりの雰囲気がある山すそのこじんまりとした宿場だった。
全長は中山道最短の127mだ。
ただしどこからどこまでが宿場なのかは判然としなかった。

番場宿資料館

番場を出ると街道は名神高速道路に接近してやがて消失する。
しばらく高速道路に沿った付け替え道を歩きながらいつの間にか小磨針こすりはりを越える。

小磨針峠あたり

峠から坂を下って高速道路からも離れると道なりに左にカーブする道と右に分岐する道に分かれる。
右が旧中山道だが、僕らは間違えて100mほど左に進んだ後に気が付いて引き返した。

復帰した旧中山道

復帰した中山道は磨針すりはり峠に向かって坂を上る。

磨針峠に向かう旧中山道

右手の道路わきに「磨針一里塚跡」の真新しい石柱が建っている。
2001年刊行のガイドブックには載っていない。

磨針一里塚跡

12:47PM、磨針峠に到着。
ここにはかつて望湖堂という彦根藩主が建てた茶屋があった。
その名の通りここから琵琶湖を眺めながら名物のすりはり餅を食べたそうだ。
今もここからは琵琶湖が見える。
中山道で初めて琵琶湖が見えるポイントだ。
しかし目の前の樹木が茂り過ぎて眺望は著しく遮られている。

望湖堂からの眺望

望湖堂は平成3年に焼失するまでここに現存した。
今は再建された建物が建っている。

再建された望湖堂

鳥居本に向かって坂を下る。
すると右にそれる野良の道が現れる。
まさかと思いつつガイドブックをにらみ、またスマートフォンのアプリ「中山道六十九次」でも確認するとこれが中山道だ。
陽光のピクニックから一転、薄暗い藪の中に突入だ。

野良の道への入口

両脇には雑草が生い茂り、幅20cmほどの踏み跡が本当にどこかにつながっているのかいぶかしがりながら歩く。

野良の道を行く

途中で途切れて引き返す破目になったりしたら悲惨だったが、道は徐々に広がりながら林を抜け、10分ほどで舗装道路につながった。
ちょっとした冒険だった。

林の中の道

旧中山道は民家の庭先をかすめながら一旦国道と合流して矢倉川を渡るとすぐにまた左に分岐する。
するとそこに「おいでやす彦根市へ」のモニュメントがあって彦根市に入ったことがわかる。
往時この辺りには松並木があったそうだが、今その面影はない。

おいでやす彦根市へ

そこから5分ほどで街道筋に旧い建物が見られるようになったので鳥居本宿に入ったものと思われる。

鳥居本宿

道筋が屈曲するあたりにあるひときわ立派な建物が神教丸本舗だ。

神教丸本舗

ここは江戸期から続く薬屋で、下痢止めなどに効くと信じられた赤玉神教丸を商っていた。
街道を歩いている最中での腹痛は現代の僕らにとっても現実的なトラブルだ。
当時の旅人にもよく売れたことだろう。
現存する建物は宝暦年間(1751~64)の建築で、皇女和宮の江戸降嫁や明治天皇の巡幸時には休息所となった由緒ある建物だ。

神教丸本舗

そこから5分歩くと軒下に細い扇を逆さにしたような看板を吊り下げた旧い建物が現れる。
これは彦根市指定文化財の岩根家住宅だ。
江戸期には鳥居本名物の合羽の製造を営んでいた。
あの看板は合羽をイメージした物らしい。

岩根家住宅

そこからさらに5分のところにも同じような看板を掲げた旧家屋がある。
ここも彦根市指定文化財の合羽所「木綿屋」だ。

合羽所「木綿屋」

そのすぐ先左手の空き地にポツンと建っている説明板によるとそこが鳥居本宿の本陣跡だ。

本陣跡

広大な敷地を誇った本陣も明治以降に切り売りされて、往時の名残は母屋横の倉庫の扉に転用された本陣の門だけだそうだ。
なるほどその横にある朽ちかけた倉庫にはお城の門などでよく見かける乳頭金具付きのいかめしい扉が付いていて異様な存在感を放っている。

本陣の門を使用した倉庫

1:54PM、鳥居本駅に向かう道とのT字路で今日の歩き旅は終了。
ここから愛知川までは2007年の2月に歩いている。
明日は16年ぶりに愛知川から歩き始める。


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